For You ~あの頃の気持ちを忘れないように~ [思い出]
雨の季節になると、なんとなくセンチメンタルになる。
大好きな映画「いま、会いにゆきます」の影響だろうか?
いや、雨の季節にボクがセンチメンタルになるのは、あの映画がヒットするもっとずっと前からだった。
サザンの「綺麗」というアルバムがリリースされたのが1983年の梅雨の頃。
LPのA面ラストにおさめられた"Never Fall in Love Again"が、当時のボクの心境と完全に同期した。
それからというもの、冒頭の「9月の風」が、ボクの内部で「6月の雨」に自動変換され、曲を聴くたびに、1983年梅雨のあの別れの記憶と当時の感覚が呼び起こされた。
歳月が過ぎ、記憶自体はいつしか薄れていった。
当時起こった出来事も、彼女の顔さえも、少しづつ曖昧になっていった。
でも、この雨の季節になると、記憶と切り離されて、あの感覚だけがふとした拍子に蘇ることがある。
そして、どうしようもなく苦しくて、どうしようもなく切なくなる。
その感覚は妙にリアルだ。
センチメンタルになってしまったついでに(いやむしろ、恋愛がらみの切なさを別のものに変換しようとしたのかもしれないが)、とある動画を再生してみた。
それは5年ほど前にボクが作ったもので、今もYouTube上のボクのチャンネルに、ひっそりと置いてある動画だ。
当時、YAMAHAが運営していた音楽投稿サイトにいた頃に仲良くしてくれていた方が、ギターの弾き語りで投稿していたボクのオリジナル曲に、オケを作ってくださった。
それはもちろん、ボクがボーカルを入れる前提のオケだったのだが、ガイドメロディ入りのそのオケは、インスト作品としてもとても素晴らしいものだった(間奏にあたる部分が実にセンス良く作られていて大好きなのである)。
その頃、フォトシネマ作成ソフトなんてものの存在を知ったこともあり、早速ソフトを購入して、そのオケをBGMに、ユウの小さい頃の写真を使ってフォトシネマを作ってみた。
このブログにも載せたことがある「昔つくった詩」も織り込んだ。
あの詩をつくった頃の気持ちを忘れないように・・・
5年ほど前、そのためにつくった動画である。
うん・・・
思い出した・・・
ついでなので、弾き語りバージョンのフォトシネマも(笑)
大好きな映画「いま、会いにゆきます」の影響だろうか?
いや、雨の季節にボクがセンチメンタルになるのは、あの映画がヒットするもっとずっと前からだった。
サザンの「綺麗」というアルバムがリリースされたのが1983年の梅雨の頃。
LPのA面ラストにおさめられた"Never Fall in Love Again"が、当時のボクの心境と完全に同期した。
それからというもの、冒頭の「9月の風」が、ボクの内部で「6月の雨」に自動変換され、曲を聴くたびに、1983年梅雨のあの別れの記憶と当時の感覚が呼び起こされた。
歳月が過ぎ、記憶自体はいつしか薄れていった。
当時起こった出来事も、彼女の顔さえも、少しづつ曖昧になっていった。
でも、この雨の季節になると、記憶と切り離されて、あの感覚だけがふとした拍子に蘇ることがある。
そして、どうしようもなく苦しくて、どうしようもなく切なくなる。
その感覚は妙にリアルだ。
センチメンタルになってしまったついでに(いやむしろ、恋愛がらみの切なさを別のものに変換しようとしたのかもしれないが)、とある動画を再生してみた。
それは5年ほど前にボクが作ったもので、今もYouTube上のボクのチャンネルに、ひっそりと置いてある動画だ。
当時、YAMAHAが運営していた音楽投稿サイトにいた頃に仲良くしてくれていた方が、ギターの弾き語りで投稿していたボクのオリジナル曲に、オケを作ってくださった。
それはもちろん、ボクがボーカルを入れる前提のオケだったのだが、ガイドメロディ入りのそのオケは、インスト作品としてもとても素晴らしいものだった(間奏にあたる部分が実にセンス良く作られていて大好きなのである)。
その頃、フォトシネマ作成ソフトなんてものの存在を知ったこともあり、早速ソフトを購入して、そのオケをBGMに、ユウの小さい頃の写真を使ってフォトシネマを作ってみた。
このブログにも載せたことがある「昔つくった詩」も織り込んだ。
あの詩をつくった頃の気持ちを忘れないように・・・
5年ほど前、そのためにつくった動画である。
うん・・・
思い出した・・・
ついでなので、弾き語りバージョンのフォトシネマも(笑)
パリの街角にて [思い出]
マスターズのローマ大会のあとは、一週あいて(250の大会はニースとジュネーブで行われるけどね)5月24日からグランドスラムの全仏オープンである。
全仏オープンはパリのスタッド・ローラン・ギャロスで行われる。
おや?
リビングには、ローマでの写真に並んで、こんな写真が飾られてるぞ。
パリにも、またユウと行きたいなぁ。
全仏オープンはパリのスタッド・ローラン・ギャロスで行われる。
おや?
リビングには、ローマでの写真に並んで、こんな写真が飾られてるぞ。
1998年7月、パリの街角にて
パリにも、またユウと行きたいなぁ。
ローマの街角にて [思い出]
錦織選手は負けてしまったけれど、マスターズのローマ大会にちなんで、思い出の写真などを載せてみる。
この写真は、とってもお気に入りで、こんな風に文字を入れて加工したものをフォトスタンドにいれてリビングに飾っている。
旧ブログ「君がいる風景」でも、タイトルヘッダー画像として使用していたので、ご記憶の方も多いかもしれない。
ローマ、またユウと行きたいな。
1998年3月、ローマの街角にて
この写真は、とってもお気に入りで、こんな風に文字を入れて加工したものをフォトスタンドにいれてリビングに飾っている。
旧ブログ「君がいる風景」でも、タイトルヘッダー画像として使用していたので、ご記憶の方も多いかもしれない。
ローマ、またユウと行きたいな。
1997年10月 ケルンにて [思い出]
吉井和哉さんの”Don't Look Back in Anger”日本語カバーのおかげで、昨日から思い出に浸りまくってしまっている。
明日から超多忙モードに入るので、心が現実逃避をしたがっているのかもしれない。
あぁ、ホントに逃避したい・・・
しかし、実際に逃避できるわけもなく、ボクは明日から仕事の山に立ち向かうのである(涙)。
せめて近くに、疲れた心をそっと笑顔で癒してくれる可愛い女の子でもいれば救われるのになぁ・・・
って、これもまた現実逃避だな(笑)
とりあえず、1997年10月のユウの笑顔に癒してもらおっと。
4月からは、週に1回か、多くても2回くらいの更新になると思います。
明日から超多忙モードに入るので、心が現実逃避をしたがっているのかもしれない。
あぁ、ホントに逃避したい・・・
しかし、実際に逃避できるわけもなく、ボクは明日から仕事の山に立ち向かうのである(涙)。
せめて近くに、疲れた心をそっと笑顔で癒してくれる可愛い女の子でもいれば救われるのになぁ・・・
って、これもまた現実逃避だな(笑)
とりあえず、1997年10月のユウの笑顔に癒してもらおっと。
(初期の超低解像度デジカメ写真なので、画質が悪いのはご容赦ください。)
4月からは、週に1回か、多くても2回くらいの更新になると思います。
昔つくった詩 [思い出]
自閉症という障害は、産まれたときにすぐわかる障害じゃない。
成長するにつれて、発達の遅れという形で現れてくる障害だから、「あれ?ちょっと普通の子と違うな」と気づくのも、早くても1歳くらいの頃なんじゃないかと思う。
ユウの障害にはっきり気づいたのはいつだったかなぁ?
ちょっと記憶をたどってみる。
手元の母子手帳を見ると、すでに1歳児検診のときに、精神発達の遅れで要観察になっている。
大人の真似をするような仕草がない。音楽に合わせて身体を動かすようなことがない。
でも、はじめての子供だったし、ボクは、その程度のことはあまり気にしていなかった。
1歳6ヶ月の集団検診のときには、精神発達の遅れは、はっきりしてきていた。
言葉がまったくない。絵本を見て指差しができない。
ただ、ユウには、「目を合わさない」という自閉症の子供によく見られる特徴がなかった。そして、親の贔屓目を差し引いても、ほかの普通の子たちより、利口そうな顔をしていたと思う。
実際、1歳6ヶ月検診のとき、保健婦さんからはずいぶんいろいろと言われたけれど、そのあとお医者さんに診てもらったとき、そのお医者さんは、「心配ありませんよ。目を見ればわかる。」とはっきり言った。
だから、そのときのボクは、「確かにちょっと発達は遅れているけれど、きっとすぐに追いつくさ」なんて思っていた。
2歳になり、やがて3歳になり、でも、ユウには、まったく言葉がなかった。
少しづつ、少しづつ、「この子は普通の子とは違うのだ」ということを、ボクも受け入れざるをえなくなっていた。
はっきりと自覚したのは、ユウが2歳半くらいの頃だったと思う。
その頃につくった詩がある。
同じような障害を持つ子の親たちとコミュニケーションがとれる場にならないかと、ユウのことを綴ったホームページを作ったときに、ふと浮かんだ詩だ。
ホームページ自体は、もう閉じてしまっているけれど、その詩は、今でも、自分の原点のような気がして、ときどき取り出しては読んだりしている。
たとえば春の公園の芝生のうえで
君が駆け回る姿を眺めていたい
たとえば夏の高原の風の中で
大空を見つめる君の横顔を見ていたい
たとえば秋の海岸の砂浜で
砂のお城を作っている君を見守っていたい
たとえば冬の道を歩きながら
僕は君の手を握る
僕の手を握りかえしてくる小さな手が愛しくて
ときどき僕に振り返ってみせる笑顔が優しくて
いつのときも どんなときも
僕のすべてで君を守っていくことを
僕は心に誓うんだ
君が幸せに なれるように
ユウが3歳の頃に撮った写真。
何の加工もしていないけれど、なんだか金色の野に降り立ったように幻想的に撮れていて、お気に入りの写真の一枚だ。
<この記事は、旧ブログ「君がいる風景」から、加筆修正のうえ、転載しています。>
成長するにつれて、発達の遅れという形で現れてくる障害だから、「あれ?ちょっと普通の子と違うな」と気づくのも、早くても1歳くらいの頃なんじゃないかと思う。
ユウの障害にはっきり気づいたのはいつだったかなぁ?
ちょっと記憶をたどってみる。
手元の母子手帳を見ると、すでに1歳児検診のときに、精神発達の遅れで要観察になっている。
大人の真似をするような仕草がない。音楽に合わせて身体を動かすようなことがない。
でも、はじめての子供だったし、ボクは、その程度のことはあまり気にしていなかった。
1歳6ヶ月の集団検診のときには、精神発達の遅れは、はっきりしてきていた。
言葉がまったくない。絵本を見て指差しができない。
ただ、ユウには、「目を合わさない」という自閉症の子供によく見られる特徴がなかった。そして、親の贔屓目を差し引いても、ほかの普通の子たちより、利口そうな顔をしていたと思う。
実際、1歳6ヶ月検診のとき、保健婦さんからはずいぶんいろいろと言われたけれど、そのあとお医者さんに診てもらったとき、そのお医者さんは、「心配ありませんよ。目を見ればわかる。」とはっきり言った。
だから、そのときのボクは、「確かにちょっと発達は遅れているけれど、きっとすぐに追いつくさ」なんて思っていた。
2歳になり、やがて3歳になり、でも、ユウには、まったく言葉がなかった。
少しづつ、少しづつ、「この子は普通の子とは違うのだ」ということを、ボクも受け入れざるをえなくなっていた。
はっきりと自覚したのは、ユウが2歳半くらいの頃だったと思う。
その頃につくった詩がある。
同じような障害を持つ子の親たちとコミュニケーションがとれる場にならないかと、ユウのことを綴ったホームページを作ったときに、ふと浮かんだ詩だ。
ホームページ自体は、もう閉じてしまっているけれど、その詩は、今でも、自分の原点のような気がして、ときどき取り出しては読んだりしている。
たとえば春の公園の芝生のうえで
君が駆け回る姿を眺めていたい
たとえば夏の高原の風の中で
大空を見つめる君の横顔を見ていたい
たとえば秋の海岸の砂浜で
砂のお城を作っている君を見守っていたい
たとえば冬の道を歩きながら
僕は君の手を握る
僕の手を握りかえしてくる小さな手が愛しくて
ときどき僕に振り返ってみせる笑顔が優しくて
いつのときも どんなときも
僕のすべてで君を守っていくことを
僕は心に誓うんだ
君が幸せに なれるように
ユウが3歳の頃に撮った写真。
何の加工もしていないけれど、なんだか金色の野に降り立ったように幻想的に撮れていて、お気に入りの写真の一枚だ。
<この記事は、旧ブログ「君がいる風景」から、加筆修正のうえ、転載しています。>