昔つくった詩 [思い出]
自閉症という障害は、産まれたときにすぐわかる障害じゃない。
成長するにつれて、発達の遅れという形で現れてくる障害だから、「あれ?ちょっと普通の子と違うな」と気づくのも、早くても1歳くらいの頃なんじゃないかと思う。
ユウの障害にはっきり気づいたのはいつだったかなぁ?
ちょっと記憶をたどってみる。
手元の母子手帳を見ると、すでに1歳児検診のときに、精神発達の遅れで要観察になっている。
大人の真似をするような仕草がない。音楽に合わせて身体を動かすようなことがない。
でも、はじめての子供だったし、ボクは、その程度のことはあまり気にしていなかった。
1歳6ヶ月の集団検診のときには、精神発達の遅れは、はっきりしてきていた。
言葉がまったくない。絵本を見て指差しができない。
ただ、ユウには、「目を合わさない」という自閉症の子供によく見られる特徴がなかった。そして、親の贔屓目を差し引いても、ほかの普通の子たちより、利口そうな顔をしていたと思う。
実際、1歳6ヶ月検診のとき、保健婦さんからはずいぶんいろいろと言われたけれど、そのあとお医者さんに診てもらったとき、そのお医者さんは、「心配ありませんよ。目を見ればわかる。」とはっきり言った。
だから、そのときのボクは、「確かにちょっと発達は遅れているけれど、きっとすぐに追いつくさ」なんて思っていた。
2歳になり、やがて3歳になり、でも、ユウには、まったく言葉がなかった。
少しづつ、少しづつ、「この子は普通の子とは違うのだ」ということを、ボクも受け入れざるをえなくなっていた。
はっきりと自覚したのは、ユウが2歳半くらいの頃だったと思う。
その頃につくった詩がある。
同じような障害を持つ子の親たちとコミュニケーションがとれる場にならないかと、ユウのことを綴ったホームページを作ったときに、ふと浮かんだ詩だ。
ホームページ自体は、もう閉じてしまっているけれど、その詩は、今でも、自分の原点のような気がして、ときどき取り出しては読んだりしている。
たとえば春の公園の芝生のうえで
君が駆け回る姿を眺めていたい
たとえば夏の高原の風の中で
大空を見つめる君の横顔を見ていたい
たとえば秋の海岸の砂浜で
砂のお城を作っている君を見守っていたい
たとえば冬の道を歩きながら
僕は君の手を握る
僕の手を握りかえしてくる小さな手が愛しくて
ときどき僕に振り返ってみせる笑顔が優しくて
いつのときも どんなときも
僕のすべてで君を守っていくことを
僕は心に誓うんだ
君が幸せに なれるように
ユウが3歳の頃に撮った写真。
何の加工もしていないけれど、なんだか金色の野に降り立ったように幻想的に撮れていて、お気に入りの写真の一枚だ。
<この記事は、旧ブログ「君がいる風景」から、加筆修正のうえ、転載しています。>
成長するにつれて、発達の遅れという形で現れてくる障害だから、「あれ?ちょっと普通の子と違うな」と気づくのも、早くても1歳くらいの頃なんじゃないかと思う。
ユウの障害にはっきり気づいたのはいつだったかなぁ?
ちょっと記憶をたどってみる。
手元の母子手帳を見ると、すでに1歳児検診のときに、精神発達の遅れで要観察になっている。
大人の真似をするような仕草がない。音楽に合わせて身体を動かすようなことがない。
でも、はじめての子供だったし、ボクは、その程度のことはあまり気にしていなかった。
1歳6ヶ月の集団検診のときには、精神発達の遅れは、はっきりしてきていた。
言葉がまったくない。絵本を見て指差しができない。
ただ、ユウには、「目を合わさない」という自閉症の子供によく見られる特徴がなかった。そして、親の贔屓目を差し引いても、ほかの普通の子たちより、利口そうな顔をしていたと思う。
実際、1歳6ヶ月検診のとき、保健婦さんからはずいぶんいろいろと言われたけれど、そのあとお医者さんに診てもらったとき、そのお医者さんは、「心配ありませんよ。目を見ればわかる。」とはっきり言った。
だから、そのときのボクは、「確かにちょっと発達は遅れているけれど、きっとすぐに追いつくさ」なんて思っていた。
2歳になり、やがて3歳になり、でも、ユウには、まったく言葉がなかった。
少しづつ、少しづつ、「この子は普通の子とは違うのだ」ということを、ボクも受け入れざるをえなくなっていた。
はっきりと自覚したのは、ユウが2歳半くらいの頃だったと思う。
その頃につくった詩がある。
同じような障害を持つ子の親たちとコミュニケーションがとれる場にならないかと、ユウのことを綴ったホームページを作ったときに、ふと浮かんだ詩だ。
ホームページ自体は、もう閉じてしまっているけれど、その詩は、今でも、自分の原点のような気がして、ときどき取り出しては読んだりしている。
たとえば春の公園の芝生のうえで
君が駆け回る姿を眺めていたい
たとえば夏の高原の風の中で
大空を見つめる君の横顔を見ていたい
たとえば秋の海岸の砂浜で
砂のお城を作っている君を見守っていたい
たとえば冬の道を歩きながら
僕は君の手を握る
僕の手を握りかえしてくる小さな手が愛しくて
ときどき僕に振り返ってみせる笑顔が優しくて
いつのときも どんなときも
僕のすべてで君を守っていくことを
僕は心に誓うんだ
君が幸せに なれるように
ユウが3歳の頃に撮った写真。
何の加工もしていないけれど、なんだか金色の野に降り立ったように幻想的に撮れていて、お気に入りの写真の一枚だ。
<この記事は、旧ブログ「君がいる風景」から、加筆修正のうえ、転載しています。>
2015-03-06 20:52
コメント(8)
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大変なこともあったのだと思います。
だけど、ユウさん、とっても幸せなお父さんのもとに来ていますね。
素敵な詩です。そして、とっても素敵な写真です。
by isoshijimi (2015-03-06 21:26)
isoshijimiさん
ありがとうございます(^^)
ボクもユウも、十分に幸せな毎日を過ごしてきたし、
これからも過ごしていけると思います(^_−)−☆
by 想也 (2015-03-07 08:05)
優しい詩ですね。心に沁みました。
by シルフ (2015-03-07 11:30)
シルフさん
ありがとうございます^^
by 想也 (2015-03-07 14:05)
素敵(*´ω`*)
あったかい詩ですね
by あまなっと (2015-03-07 14:56)
想也さん、ご無沙汰しております。
どうしていらっしゃるかな?と思っていたので
またお会いできて本当に嬉しいです^^
(他所で偶然想也さんのコメントを見つけ、飛んで来ました♪)
子供の幸せは親の共通の願いですね。
想也さんの想いが心に響きます。
お写真の柔らかな雰囲気も素敵です(*^^*)
by Sizuku (2015-03-07 19:39)
あまなっとさん
ありがとうございます^^
by 想也 (2015-03-08 00:32)
Sizukuさん
お久しぶりです。
ご訪問ありがとうございました。
ホント、どの親もみんな同じように、
子どもの幸せを願っているのですよね。
子どものほうがその気持ちを実感するのは、
きっと、自分が親になったときなんでしょうけど。
by 想也 (2015-03-08 00:42)