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Deep Purple, Live in Japanの真実 [ George Peckhamの仕事]
「何故、Side 4だけ輸入ラッカーが使用されなかったのか?」について、すろはん先輩が、当時の内部事情を知っている方に取材してTwitter(現X)で報告してくださったツイートを、転載させていただきました。(2024年2月10日追記)
8月19日は、イアン・ギラン(Ian Gillan)の誕生日ということで、このレコードを引っ張り出して聴いていた。
1972年8月に行われた来日公演の模様をおさめたロック史上屈指の傑作ライブ・アルバム、ディープ・パープル(Deep Purple)"Live in Japan"(ワーナー・パイオニア P-5066~7W)である。
アルバム・タイトルは、日本盤のみ"Live in Japan"で、ほかはすべて"Made in Japan"だ。
このライブ・アルバム、もともと日本のみでリリースの予定だったらしいが、あまりにも出来が良かったために、UK本国でも間髪おかずに日本と同じ1972年12月に、アメリカでも翌月の1973年1月にリリースされた。
そんな経緯なので、来日公演をおさめたものでもあるし、日本盤には特別な意味がある。
おまけに日本盤には、UK盤と同じくジョージ・ペカム(George Peckham)がカッティングした輸入ラッカーが使用されている。
もう日本盤だけ持っていれば良さそうである。
幸いうちの盤は、グリーン・レーベルの初回盤というだけでなく、発売前月の1972年11月プレスだ。
送り溝のPM2―Yがそれを証明している。
(一枚目をターンテーブルに載せていたので、二枚目のSide 3のPMだが、Side 1ももちろん同じである。)
日本盤だけ持っていればいいなら、それに越したことはない。
しかし、やはりそういうわけにはいかないのである。
そういうわけにはいかない決定的な事実があるのだ。
あんまり語られていない気はするが、仲間内では昔から話題になっていたことなので、おそらく多くの人が気づいているんじゃないかと思う。
さきほど、日本盤もペカムがカッティングした輸入ラッカーを使用していると書いた。
しかし、ペカムのカッティングであることを示すサインは、Side 1からSide 3までにはあるが、Side 4にはないのである。
一応書き出しておくと、送り溝のサインは次のようになっている。
Side 1 PORKY
Side 2 DELTA PORK
Side 3 PECKO
Side 4 サインなし
これは何を意味しているのだろうか。
「単にペカムがサインを忘れただけだろー」と淡い期待を抱きたい人もいるかもしれないが、ペカムがサインを忘れた例というのは記憶にない。
実際、Side 4はペカムのカッティングではなく、日本独自カッティングなのである。
さきほどPMのことを話題にしたが、PMの形式から、このレコードが東芝(当時は東芝音工)プレスであることがわかる。
自社工場を持たないワーナーは、東芝や東洋化成にプレス委託をしていたが、このレコードについてはメッキ処理からプレスまで東芝で行われている。
そして、Side 4のカッティングもおそらく東芝で行われている。
東芝では、輸入ラッカーの場合は、ラッカー・ナンバーにLがつく。
このレコードの場合も、Side 1からSide 3までのラッカー・ナンバーはLである。
ちなみに、うちの盤のSide 1からSide 3までのマト(スタンパーまで含む)は次の通りだ。
Side 1 L-A-10
Side 2 LーAー6
Side 3 LーAー6
Side 3のマトの画像を載せておこう。
それに対して、Side 4のラッカー・ナンバーにはLが使用されていないのである。
Side 4のマト(スタンパーまで含む)は、1ーAー11だ(光の加減でスタンパー・ナンバーの11が見えにくいが、間違いなく11である)。
Lではなく1が使用されているというのは、輸入ラッカーではないということである。
それが東芝のマトのルールだ。
実際、Side 4の音には、ペカム・カッティングのSide 1からSide 3までに聴くことができるような、うなる低域や分厚い中域が感じられない。
つまり、Side 3までは日本盤でいい(プレスの良さを考えれば、むしろ日本盤がいい)のだが、Side 4については、ペカムがカッティングしている("Peckie"というサインがある)UK盤(ドイツ盤でも良い)で聴かないとダメなのである。
面倒なんだけどね(笑)
それにしても、何故、Side 4だけ輸入ラッカーが使用されなかったのだろう?
送ってもらったものの、なんらのトラブルでダメにしちゃったんだろうか?
このあたりのことは、当時の内部事情を知っている人にしかわからないよねぇ。
2024年2月10日追記
「何故、Side 4だけ輸入ラッカーが使用されなかったのか?」について、すろはん先輩が、当時の内部事情を知っている方に取材して、Twitter(現X)で報告してくださいました。
1年近く経ってしまいましたが(ツイートは2023年2月27日)、すろはん先輩の許可を得て、転載させていただきます。
(しばらくしたら転載させていただこうと思っていたのですが、すっかり忘れてしまっていました。すみませんm(_ _)m)
【ライヴ・イン・ジャパン/カッティングの真実】
昨年夏に想也さんから出された宿題に関し、昨年晩秋に知人である元ワーナーパイオニア洋楽ディレクターの佐藤晃彦氏に事の経緯のリサーチ」をお願いしておりました。
そして10日前に佐藤晃彦氏の主宰による同盤の特別視聴会が『下北沢/アナログ天国』にて開催された際、催事開始時間の前に、お願いしていた「事の経緯リサーチ」の取材をさせて頂きました。
1972年当時、ワーナーパイオニアのパープル担当ディレクターは折田育造氏で(日本グラモフォンでZEP担当だった事で有名ですね。)、サブ担当が加藤正文氏だったとの事。
折田氏は既に逝去されていたので、佐藤氏の先輩にあたる加藤氏へヒアリング。
1972年パープル来日~『ライヴ・イン・ジャパン』製作/発売当時は折田氏が全てを統括していた為「正確な状況確認」は無理だったが、洋楽担当ディレクターとして「何故にSIDE.4だけ日本国内カッティングとなってしまったか?」は推測出来るとの事。
70年代後半までは本国レーベル側から指定ラッカー盤が送付される事は何件もあったが、時としてその中の一部に外周溝から音溝部分に繋がってない/針が進まないのが検知される、又は傷迄では無いが、音に出そうな突起発覚のラッカー盤があったとの事。
この盤のSIDE.4に関しては、十分にそのケースが考えられるとの事。その様な事故発覚ケースを想定し、レーベル本国からは指定ラッカー盤と伴にコピーマスター・テープが必ず同送されており、そこから諸調整して日本側でカッティングした事は何度もある。
折田育造氏が逝去されてるので完全な真実解明には至りませんでしたが、元ワーナーパイオニア洋楽担当ディレクター諸氏の見解は、ほぼコレが真実に近いと思われるとの事でした。
何故にSIDE.4にだけGeorge Peckhamのサインが無いのか?は、これが真実?
SIDE.4日本国内カッティング時は、統括ディレクターだった折田氏が立ち合ったと思われます。又日本のカッティング・エンジニアは、海外(特に米国)カッティング・エンジニアよりもピークメーターのレッドゾーンを特に意識して作業にあたっていたとの事。
日本がピークメーターのレッドゾーンを其処まで意識していた理由は、日本のレコードの品質保全意識にあったとの事。それは、当時の日本のレコード業界に於ける返品制度の存在も非常に大きかったとの事。逆に返品制度の無い米国のカッティング・エンジニアは、レッドゾーン無視の傾向があったとの事。
また本国レーベルから指定ラッカー盤と伴にコピーマスターが必ず同送されてた事は、先程の様な事故案件の想定以外に「増産プレスが多くなり、リカッティングのラッカー盤が必要になる」or「後々にリカッティングして再発する」事も想定されてたとの事です。
すろはん先輩、ものすごく貴重な情報をありがとうございました!
8月19日は、イアン・ギラン(Ian Gillan)の誕生日ということで、このレコードを引っ張り出して聴いていた。
1972年8月に行われた来日公演の模様をおさめたロック史上屈指の傑作ライブ・アルバム、ディープ・パープル(Deep Purple)"Live in Japan"(ワーナー・パイオニア P-5066~7W)である。
アルバム・タイトルは、日本盤のみ"Live in Japan"で、ほかはすべて"Made in Japan"だ。
このライブ・アルバム、もともと日本のみでリリースの予定だったらしいが、あまりにも出来が良かったために、UK本国でも間髪おかずに日本と同じ1972年12月に、アメリカでも翌月の1973年1月にリリースされた。
そんな経緯なので、来日公演をおさめたものでもあるし、日本盤には特別な意味がある。
おまけに日本盤には、UK盤と同じくジョージ・ペカム(George Peckham)がカッティングした輸入ラッカーが使用されている。
もう日本盤だけ持っていれば良さそうである。
幸いうちの盤は、グリーン・レーベルの初回盤というだけでなく、発売前月の1972年11月プレスだ。
送り溝のPM2―Yがそれを証明している。
(一枚目をターンテーブルに載せていたので、二枚目のSide 3のPMだが、Side 1ももちろん同じである。)
日本盤だけ持っていればいいなら、それに越したことはない。
しかし、やはりそういうわけにはいかないのである。
そういうわけにはいかない決定的な事実があるのだ。
あんまり語られていない気はするが、仲間内では昔から話題になっていたことなので、おそらく多くの人が気づいているんじゃないかと思う。
さきほど、日本盤もペカムがカッティングした輸入ラッカーを使用していると書いた。
しかし、ペカムのカッティングであることを示すサインは、Side 1からSide 3までにはあるが、Side 4にはないのである。
一応書き出しておくと、送り溝のサインは次のようになっている。
Side 1 PORKY
Side 2 DELTA PORK
Side 3 PECKO
Side 4 サインなし
これは何を意味しているのだろうか。
「単にペカムがサインを忘れただけだろー」と淡い期待を抱きたい人もいるかもしれないが、ペカムがサインを忘れた例というのは記憶にない。
実際、Side 4はペカムのカッティングではなく、日本独自カッティングなのである。
さきほどPMのことを話題にしたが、PMの形式から、このレコードが東芝(当時は東芝音工)プレスであることがわかる。
自社工場を持たないワーナーは、東芝や東洋化成にプレス委託をしていたが、このレコードについてはメッキ処理からプレスまで東芝で行われている。
そして、Side 4のカッティングもおそらく東芝で行われている。
東芝では、輸入ラッカーの場合は、ラッカー・ナンバーにLがつく。
このレコードの場合も、Side 1からSide 3までのラッカー・ナンバーはLである。
ちなみに、うちの盤のSide 1からSide 3までのマト(スタンパーまで含む)は次の通りだ。
Side 1 L-A-10
Side 2 LーAー6
Side 3 LーAー6
Side 3のマトの画像を載せておこう。
それに対して、Side 4のラッカー・ナンバーにはLが使用されていないのである。
Side 4のマト(スタンパーまで含む)は、1ーAー11だ(光の加減でスタンパー・ナンバーの11が見えにくいが、間違いなく11である)。
Lではなく1が使用されているというのは、輸入ラッカーではないということである。
それが東芝のマトのルールだ。
実際、Side 4の音には、ペカム・カッティングのSide 1からSide 3までに聴くことができるような、うなる低域や分厚い中域が感じられない。
つまり、Side 3までは日本盤でいい(プレスの良さを考えれば、むしろ日本盤がいい)のだが、Side 4については、ペカムがカッティングしている("Peckie"というサインがある)UK盤(ドイツ盤でも良い)で聴かないとダメなのである。
面倒なんだけどね(笑)
それにしても、何故、Side 4だけ輸入ラッカーが使用されなかったのだろう?
送ってもらったものの、なんらのトラブルでダメにしちゃったんだろうか?
このあたりのことは、当時の内部事情を知っている人にしかわからないよねぇ。
2024年2月10日追記
「何故、Side 4だけ輸入ラッカーが使用されなかったのか?」について、すろはん先輩が、当時の内部事情を知っている方に取材して、Twitter(現X)で報告してくださいました。
1年近く経ってしまいましたが(ツイートは2023年2月27日)、すろはん先輩の許可を得て、転載させていただきます。
(しばらくしたら転載させていただこうと思っていたのですが、すっかり忘れてしまっていました。すみませんm(_ _)m)
【ライヴ・イン・ジャパン/カッティングの真実】
昨年夏に想也さんから出された宿題に関し、昨年晩秋に知人である元ワーナーパイオニア洋楽ディレクターの佐藤晃彦氏に事の経緯のリサーチ」をお願いしておりました。
そして10日前に佐藤晃彦氏の主宰による同盤の特別視聴会が『下北沢/アナログ天国』にて開催された際、催事開始時間の前に、お願いしていた「事の経緯リサーチ」の取材をさせて頂きました。
1972年当時、ワーナーパイオニアのパープル担当ディレクターは折田育造氏で(日本グラモフォンでZEP担当だった事で有名ですね。)、サブ担当が加藤正文氏だったとの事。
折田氏は既に逝去されていたので、佐藤氏の先輩にあたる加藤氏へヒアリング。
1972年パープル来日~『ライヴ・イン・ジャパン』製作/発売当時は折田氏が全てを統括していた為「正確な状況確認」は無理だったが、洋楽担当ディレクターとして「何故にSIDE.4だけ日本国内カッティングとなってしまったか?」は推測出来るとの事。
70年代後半までは本国レーベル側から指定ラッカー盤が送付される事は何件もあったが、時としてその中の一部に外周溝から音溝部分に繋がってない/針が進まないのが検知される、又は傷迄では無いが、音に出そうな突起発覚のラッカー盤があったとの事。
この盤のSIDE.4に関しては、十分にそのケースが考えられるとの事。その様な事故発覚ケースを想定し、レーベル本国からは指定ラッカー盤と伴にコピーマスター・テープが必ず同送されており、そこから諸調整して日本側でカッティングした事は何度もある。
折田育造氏が逝去されてるので完全な真実解明には至りませんでしたが、元ワーナーパイオニア洋楽担当ディレクター諸氏の見解は、ほぼコレが真実に近いと思われるとの事でした。
何故にSIDE.4にだけGeorge Peckhamのサインが無いのか?は、これが真実?
SIDE.4日本国内カッティング時は、統括ディレクターだった折田氏が立ち合ったと思われます。又日本のカッティング・エンジニアは、海外(特に米国)カッティング・エンジニアよりもピークメーターのレッドゾーンを特に意識して作業にあたっていたとの事。
日本がピークメーターのレッドゾーンを其処まで意識していた理由は、日本のレコードの品質保全意識にあったとの事。それは、当時の日本のレコード業界に於ける返品制度の存在も非常に大きかったとの事。逆に返品制度の無い米国のカッティング・エンジニアは、レッドゾーン無視の傾向があったとの事。
また本国レーベルから指定ラッカー盤と伴にコピーマスターが必ず同送されてた事は、先程の様な事故案件の想定以外に「増産プレスが多くなり、リカッティングのラッカー盤が必要になる」or「後々にリカッティングして再発する」事も想定されてたとの事です。
すろはん先輩、ものすごく貴重な情報をありがとうございました!
タグ:DEEP PURPLE
圧巻の向井秀徳 [ラジオデイズ]
2月8日(木)放送分のTHE TRAD@TOKYO FMをタイムフリーで聴いた。
3時台のゲストは、ZAZEN BOYSのボーカル&ギター、向井秀徳さんである。
アコギを携えて登場した向井さん、のっけからハマ君と絵美里ちゃんを自分のペースに巻き込む。
プロフィール紹介のBGMが、本人の弾き語りなんて、初めて聴いたよ(笑)
突然思いついたとかで、「THE TRAD弾き語りCM」のプレゼントなんてのもあったり。
圧巻だったのは、『永遠少女』の弾き語り。
新作『らんど』に収録された音源の方をオンエアする予定だったらしいのだが、急遽、弾き語り生演奏に変わったようだ。
向井さん曰く「夕暮れアコースティック・バージョン」の『永遠少女』、最高でした。
アルバム『らんど』のリード曲なので、YouTubeにPVも上がっていて、これはこれで良いのだが、向井さんの弾き語りの説得力と言ったら、ハンパないんである。
radikoで聴けるうちに、ぜひ聴いてみてくださいな。
新作『らんど』は、1月24日にすでに発売されている。
https://amzn.to/3w8Idzs
アナログは出ないのかなぁ?
3時台のゲストは、ZAZEN BOYSのボーカル&ギター、向井秀徳さんである。
アコギを携えて登場した向井さん、のっけからハマ君と絵美里ちゃんを自分のペースに巻き込む。
プロフィール紹介のBGMが、本人の弾き語りなんて、初めて聴いたよ(笑)
突然思いついたとかで、「THE TRAD弾き語りCM」のプレゼントなんてのもあったり。
圧巻だったのは、『永遠少女』の弾き語り。
新作『らんど』に収録された音源の方をオンエアする予定だったらしいのだが、急遽、弾き語り生演奏に変わったようだ。
向井さん曰く「夕暮れアコースティック・バージョン」の『永遠少女』、最高でした。
アルバム『らんど』のリード曲なので、YouTubeにPVも上がっていて、これはこれで良いのだが、向井さんの弾き語りの説得力と言ったら、ハンパないんである。
radikoで聴けるうちに、ぜひ聴いてみてくださいな。
新作『らんど』は、1月24日にすでに発売されている。
https://amzn.to/3w8Idzs
アナログは出ないのかなぁ?
タグ:ZAZEN BOYS 向井秀徳
The Water Is Wide [TRAD]
ムーヴのCM動画がいつのまにか非公開になっていたので、ちょっと加筆修正しました。(2024年2月7日追記)
今日の仕事は午後からなので、ゆっくりと朝の時間を過ごしていたら、テレビから"The Water Is Wide"が流れてきた。
ムーヴのCMである。
大貫妙子さんのカバーなのだが、リリース予定はあるのかしらん?
この曲、大好きだから、フルバージョンが聴きたいなぁ。
YouTube上の動画がいつのまにか非公開になってたので、何か代わりになるものがないかと探して、これを見つけた。
坂本美雨 with CANTUS(東京都出身の幼馴染9人で結成された女性聖歌隊らしい。)のカバー・バージョンである。
こういうのも良いよねぇ。
"The Water Is Wide"といえば、カーラ・ボノフ(Karla Bonoff)のファースト・アルバムである。
このブログでも、取り上げたことがあるので、これからアナログで聴いてみたいという方は、ぜひ参考にしてくださいませ。
https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-12-24(日本盤編)
https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-12-25(US盤編)
最近リリースされたウィリアムス浩子さんの『MY ROOM another side』も、忘れちゃいけないよね。
https://amzn.to/3Ut6QAT
これもそのうちアナログ化してくれないかなぁ?
さて、お昼ごはんを食べて、仕事にでかけましょうかね。
雨だけど・・・
今日の仕事は午後からなので、ゆっくりと朝の時間を過ごしていたら、テレビから"The Water Is Wide"が流れてきた。
ムーヴのCMである。
大貫妙子さんのカバーなのだが、リリース予定はあるのかしらん?
この曲、大好きだから、フルバージョンが聴きたいなぁ。
YouTube上の動画がいつのまにか非公開になってたので、何か代わりになるものがないかと探して、これを見つけた。
坂本美雨 with CANTUS(東京都出身の幼馴染9人で結成された女性聖歌隊らしい。)のカバー・バージョンである。
こういうのも良いよねぇ。
"The Water Is Wide"といえば、カーラ・ボノフ(Karla Bonoff)のファースト・アルバムである。
このブログでも、取り上げたことがあるので、これからアナログで聴いてみたいという方は、ぜひ参考にしてくださいませ。
https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-12-24(日本盤編)
https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-12-25(US盤編)
最近リリースされたウィリアムス浩子さんの『MY ROOM another side』も、忘れちゃいけないよね。
https://amzn.to/3Ut6QAT
これもそのうちアナログ化してくれないかなぁ?
さて、お昼ごはんを食べて、仕事にでかけましょうかね。
雨だけど・・・
ホテル・カリフォルニアへの長い旅 [アナログ・コレクターの覚書]
あらたにいただいた情報をふまえて追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報とジャケット情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
2年くらい前までは、US盤工場違いの聴き比べなんて足を踏み入れちゃいけない世界だと思っていたのに、いまのボクは、紙ジャケ探検隊がまき散らす感染力の強力なコレクターズ・ウイルスにすっかり侵されてしまっている。
US盤がオリジナルのレコードの場合、もちろん思い入れのあるレコードに限られはするが、どこがオリジナル工場なのかを突き止めないではいられない身体になってしまったのである(笑)
で、イーグルス(Eagles)の『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』だ。
いろいろ掘っているのだが、どこがオリジナル工場なのか、いまだにわからない。
そんなときは、いったん立ち止まって先輩諸氏からの助言をいただくのが得策である。
ってことで、これまでにわかったこと、推測(妄想? 笑)したことなんかを、とりあえずまとめてみることにした。
まずは基本的なところの確認である。
このレコードは1976年12月8日にアサイラム・レコ―ズ(Asylum Records)からリリースされたが、そのときのレコード番号は7E-1084だ。
数字が若いうえにDiscogsでは初盤と同じ1976年にリリースされたことになっているのでたまに混乱している人がいるが、手元のGoldmineによれば、6E-103は1977年の再発である。
日本初盤(ワーナー・パイオニア P-10221Y)とUSオリジナル(Asylum Records 7E-1084)3枚。手前は2011年DSDマスター使用の日本製SACD(ワーナーミュージック・ジャパン WPCR-14165)。
さて、では、工場違いの話に入ろう。
Discogsをみると、初盤である7E-1084は、レコード・クラブ盤をのぞいて、次の4つの工場でプレスされていることがわかる。
1. 東部ペンシルヴェニアにあるスペシャルティ・レコ―ズ(Specialty Records)―SP
2. 中部インディアナのリッチモンドにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)―PRC
3. 西部カリフォルニアにあるコロンビア・レコ―ズのサンタ・マリア工場(Columbia Records Pressing Plant, Santa Maria)―CSM
4. 西部カリフォルニアにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)のコンプトン工場―PRCW
(どこの工場でプレスされたかは、SP、PRC、CSM、PRCWという略号がレーベル上に明記されているので、すぐにわかる。)
PRCのコンプトン工場は75年12月にオープンしたばかりの工場で、76年12月リリースの初盤の時点でプレスを依頼していたかは疑わしい。
コンプトン工場はサンタ・マリア工場の後を受けてアサイラムの西部メイン工場になるところのようだし、Discogsを見るとコンプトン工場の盤はMatrix末尾8以降のようなので、77年以降に(多少重なっている期間があるかもしれないが)サンタ・マリア工場の後をうけてプレスを行った工場だと考えるのが合理的だと思う。
PRCのリッチモンド工場のほうは初盤からプレスしていただろうが、中部をオリジナル工場とする根拠はまったくないので、除外していいだろう。
残るは、西部CSM工場と東部SP工場である。
東部SP工場産のレーベル
西部CSM工場産のレーベル
アサイラムはもともと西部ロサンジェルスの会社だが、73年8月にニューヨークのエレクトラ・レコ―ズ(Elektra Records)と統合している。
しかも、統合後レーベル上に表記されるエレクトラ/アサイラムの住所は、当初はエレクトラのニューヨークの住所だったし、74年にはロサンジェルスの住所にかわるがその住所は元々エレクトラの西海岸オフィスのあったところである。
アサイラムは西部の会社だから西部CSM工場がオリジナルと考えるのが素直かもしれないが、アサイラム・レーベルでのリリースについても、エレクトラが強い影響力を及ぼしていたとすると、東部SP工場がオリジナルということも十分に考えられると思うのである。
エレクトラ/アサイラム内部のこの攻防こそが、オリジナル工場の確定を迷わせる最大の要因なのだ。
そして、ボクは現在、SP工場オリジナル説にかなり傾いているのである。
その理由は4つある。
一つずつ見ていこう。
その1 ジャケットの謎
ホテル・カリフォルニアのジャケットには、ほんのちょっと違っているだけだが、二つの種類がある。
裏ジャケ下部の住所表記の部分が違っているのだ。
一つはフォントが大きく(したがってその分長い)最後のワーナーロゴが小さいタイプ(タイプAと呼ぶことにする)で、もう一つはフォントが小さく(したがってその分短い)最後のワーナーロゴが大きいタイプ(タイプBと呼ぶことにする)である。
ボクの手持ちでは、CSM工場産の二枚がタイプAでSP工場産の一枚がタイプBだった。
上がSP工場産のタイプBで下がCSM工場産のタイプA
タイプAのほうはCalifornia 90069.とA Division ofの間にスペースがあるので、クレジット全体の長さと合わせると、遠目でもタイプAかタイプBかの判定は簡単にできる。
つまり、Discogsやオークションでの地引網調査ができる。
もっとも、地引網調査の過程で、ショップが出品しているオークションなどではジャケット写真の使いまわしもあることが判明したので、オークションでの確認については、使いまわしでないことが明らかなもののみに限定した。
地引網調査でボクが確認した限りでは、タイプAはCSM工場産にしかない。
SP工場産、PRC工場産、PRCW工場産は最初からタイプBのようだ。
西部も最終的にはタイプBになる(6E-103になると西部はPRCW工場産になるがすべてタイプBである)ことからすると、タイプAが初回ジャケットと考えることができそうである。
こういうときに参考になるのは日本盤だ。
ジャケの変更があったとき、日本には変更前のジャケットデザインが送られ、ずっとそれで製造されることがよくある。
ってことで、日本盤を見てみると・・・
一番下に日本盤を追加
ほらタイプAだ。
これでSP工場産もPRC工場産も最初はタイプAだったということなら、すんなり初回ジャケはタイプAということで問題解決なのだが、上記のようにSP工場産やPRC工場産にタイプAはなさそうなのである。
仮にあったとしても、さしあたり見つからなかったことからして、ごく初期のみで少数しか存在しないんだと思う。
しかし、はたしてこんな微妙なマイナーチェンジをリリース後にわざわざするもんだろうか?
※ツイッターでSP工場産の盤(マトは7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SPとのこと)がタイプAのジャケットに入っているものをお持ちだという情報をいただいた。
しかし、それがリリース当時に新品を買ったワンオーナーものだというのなら、ただちにSP工場産も最初はタイプAだったという結論が導けるが、中古で購入したものの場合、バカ売れしたレコードであるだけに中古レコード屋さんのところで入れ替えがあった可能性が否定できず、ただちに結論を導くことはできない。
SP工場産やPRC工場産も最初はタイプAだったという結論を導くためには、ある程度の確率でタイプAのジャケに入ったSP工場産やPRC工場産の盤が見つかる必要があると思う。
ってことで、そういう組み合わせのものをお持ちの場合は、ぜひ情報提供を御願いします。
(2018年10月21日追記)
※この記事のコメントで、SP工場プレスの盤でタイプAのジャケットに入っているものをお持ちの方から情報をいただいた。
リリースから間もない頃に、新品を購入したものだという。
ということは、SP工場プレスの盤も、最初はタイプAのジャケットに入っていたということだろうか?
もちろん、その可能性はあると思う。
もっとも、タイプAのジャケットに入っているSP工場プレス盤はほとんどみかけないから、仮に、SP工場プレスでも当初はタイプAのジャケットが使われていたとしても、本当にごく初期だけだったんじゃないだろうか。
しかし、ボクは、別の可能性を考えている。
というのも、今回の情報は、「日本に輸入盤として入ってきたもの」の情報だからである。
周知のように、当時アメリカから日本への輸入盤は西海岸から船便で届いていた。
つまり、当時日本に入ってきたのは基本的にCSM工場プレスの盤だったはずだ。
そこにSP工場プレスが混じるというのは、たぶん、CSM工場での生産量だけでは輸出に必要な量に到達せず、東海岸のSP工場から(場合によっては中部のPRC工場からも?)調達したということだろう。
盤とジャケットは別工場で製造するものだから、そのとき、盤だけをSP工場(あるいはPRC工場)から調達し、ジャケットは手許にあるものを使ったということも起こり得たんじゃないかと思うのである。
そんな風にして、タイプAのジャケットに入ったSP工場プレス盤が生まれたんじゃないだろうか。
真相はわからないが、あながち荒唐無稽な妄想でもないと思うのだがどうだろう?
(2020年8月17日追記)
文字フォントを小さくしてワーナーロゴを大きくするということ自体の意図はよくわかるし、最終的にタイプBに統一されていくことからしても、タイプBが完成型だと思うのだが、タイプAでのリリース後にわざわざ変更するほどのものとも思えないのである。
むしろ、初盤の時点ですでにジャケはタイプBってことに決定していたのに、西部にはそれが伝わらずにタイプAで製造してしまったと考えるほうが合理的な気がする。
つまり、この点の最終決定は東部で行われたんじゃないだろうか(下部のクレジットの細かい点なので、アーティストの意向を確認する必要性はなかったと思う)。
東部にジャケットについての最終決定権があったとすると、オリジナル工場も東部SP工場だったという可能性も否定できないと思うのである。
その2 Matrix末尾
Matrix末尾に目を向けてみよう。
手持ちのSP工場産は、7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SPで末尾に数字はない。
CSM工場産のほうは、一枚が7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMで、もう一枚が7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMである。
SP工場産のMatrix。末尾がない。
CSM工場産のMatrix。マト4のほう。
どうも、最初に切られたラッカーがSP工場に、後で切られたラッカーがCSM工場にまわされたようにみえる。
ってことで、これまたDiscogsで地引網調査をしてみると、手持ちも合わせて次のようになっていた。
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
SP工場
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SP
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B-1 RE SP
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B-1 RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A14 -SP/7E 1084 B14 -SP
CSM工場
7E 1084 A-2 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM(テスト・プレス)
7E 1084(7E 1028を修正消し後に追記) A-3 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-3 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-10 RE CSM
PRC工場
7E 1084 A RE-6 PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-7 RE PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B-13 PRC
PRCW工場
7E 1084 A RE-8 PRCW/7E 1084 B RE-8 PRCW
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B RE-8 PRCW
以上の情報から、Matrix末尾については、SP工場には無しか1、CSM工場に2から5、PRC工場に6と7がまわされたのだと思われる。
PRCW工場の8以降は(CSM工場の10、PRC工場の11や13、SP工場の14も含めて)追加カッティングなんじゃないかと思うんだがどうだろう?
先にカッティングされたラッカーをまわした工場が必ずしもオリジナル工場というわけではないとしても、SP工場にまわされた盤に末尾がないことはとても気になる。
SP工場の末尾無しのラッカーは、STERLINGのスタジオで最初に切られたもので、バンドのメンバーかあるいはプロデューサーのBill Szymczykがそこで聴いて承認したものなんじゃないか。
このアルバムのレコーディングは、マイアミとロサンジェルスで行われているが、最終的なミックス・ダウンはプロデューサー/エンジニアのBill Szymczykによってマイアミで行われている。
マイアミからマスターテープをもってニューヨークのSTERLINGスタジオに立ち寄ったBill Szymczykが、Lee Hulkoの最初にカットした末尾無しのラッカーを聴いて承認した。
うん、ありそうじゃないか。
もしそうだとしたら、そのラッカーでプレスしたSP工場こそオリジナル工場なんじゃないだろうか。
あらたにいただいたCSM工場のMatrix情報で、A面のマト3では、7E 1028が修正消しされた後に7E 1084が追記されていることが判明した。
7E 1028が最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だったりすると、いろいろ推測できるのだが、調べてみると1975年にElektraからリリースされたDavid Gatesの"Never Let Her Go"のレコード番号なので、それが最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だという可能性はないと思う。
"Hotel California"のカッティングと同時期に"Never Let Her Go"のリカッティングでも依頼されていて、間違えて刻んでしまったのだろうか?
でも、"Never Let Her Go"のオリジナルのカッティングはTMLで、STERLINGでリカッティングされた形跡も(少なくともDiscogsを見る限り)ないんだよねぇ・・・
ってことで、この修正がどういう経緯で行われたのかは、ちょっとわからない。
その3 Lee Hulkoのサイン
末尾なし盤が最初に切られたラッカーである可能性を示唆する事実がもう一つある。STERLING刻印に添えられたLee Hulkoのイニシャルだ。
Lee Hulkoがカッティングしたときは、STERLING刻印にLHのイニシャルが添えられる。
彼はBob Ludwigと違って律儀な人で、必ず両面にLHと彫る。
実際、このホテル・カリフォルニアもすべての面のSTERLINGにLHが添えられている。
ただ一つ、末尾無しのB面をのぞいて。
そう、SP工場のMatrix末尾無しのB面のみ、LHのイニシャルが彫られていないのである。
SP工場産A面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られている。
SP工場産B面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られていない。
この事実もまた、両面末尾無しのラッカーが最初に切られ、承認にまわされたものであることを示すんじゃないかと思うのである。
CSM工場産についてあらたにいただいたMatrix情報で、A面のマト5とB面のマト10についてLHのイニシャルがないことが判明した。
ってことで、この第3の根拠はみごとに崩されてしまった。
Lee Hulkoさん、きっちりした性格かと思ってたけど、案外うっかりさんだったのね(笑)
(2018年10月21日追記)
その4 エレクトラ勢力の拡大?
ボクがSP工場オリジナル説に傾く最大の理由が、実はこれである。
1976年に入り、エレクトラ/アサイラムにおけるエレクトラ勢力が拡大し、アサイラム・リリースに対するエレクトラ側からの影響力がかなり強まったのではないかと、ボクは考えている。
とはいえ、すでにずいぶん長い記事になってしまったし、この点についての説明はまた別の機会に譲ることにしよう。
まだ仮説を根拠づける証拠が十分にそろえられていないところもあるので、もう少し研究を進めてから記事にしたほうがいい気がしてきたし。
おっと忘れるところだった。
最後に、音質のことを少し。
うちのオーディオ・システムでの、あくまで手持ち盤の比較なので、あしからず。
以下、タイトル曲”Hotel California”で聴き比べた印象である。
ガキの頃から聴き馴染んできた日本盤は、個々の楽器の音色が鮮度感を欠いているうえに音場も平板で立体感がない。
CSMのマト10も日本盤ほどひどくはないが音色的には響きの豊かさを欠く。もっとも、音場には米西海岸らしい広がりが感じられるので、悪くはない。
しかし、CSMのマト4やSPのマト末尾無しがやはり飛びぬけている。
どちらも、個々の楽器の音色については響きが豊かで十分な鮮度感がある。
とはいえ、全体的な印象はかなり違う。
SPマト末尾無しは、個々の楽器の音色が明快で引き締まり、タイトに聴かせる。
CSMマト4は、個々の楽器の音の輪郭が微妙に甘くなるが、そのぶん、ふんわりと自然に音場が広がる。
これはもう、どっちが好みかの問題だし、システムによっても違うんじゃないかと思う。
しかもCSMには、ボクは聴いたことがないが、マト3(A面しか確認してないが。B面しか確認してないものではマト2もある。)がある。
いまのところSPとCSM甲乙つけがたしというのがボクの印象だが、マト3を聴いたら、もしかしたらCSMに軍配をあげるかもしれない。
あっ、そうだ。
SACDも悪くないよ(笑)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報とジャケット情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
2年くらい前までは、US盤工場違いの聴き比べなんて足を踏み入れちゃいけない世界だと思っていたのに、いまのボクは、紙ジャケ探検隊がまき散らす感染力の強力なコレクターズ・ウイルスにすっかり侵されてしまっている。
US盤がオリジナルのレコードの場合、もちろん思い入れのあるレコードに限られはするが、どこがオリジナル工場なのかを突き止めないではいられない身体になってしまったのである(笑)
で、イーグルス(Eagles)の『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』だ。
いろいろ掘っているのだが、どこがオリジナル工場なのか、いまだにわからない。
そんなときは、いったん立ち止まって先輩諸氏からの助言をいただくのが得策である。
ってことで、これまでにわかったこと、推測(妄想? 笑)したことなんかを、とりあえずまとめてみることにした。
まずは基本的なところの確認である。
このレコードは1976年12月8日にアサイラム・レコ―ズ(Asylum Records)からリリースされたが、そのときのレコード番号は7E-1084だ。
数字が若いうえにDiscogsでは初盤と同じ1976年にリリースされたことになっているのでたまに混乱している人がいるが、手元のGoldmineによれば、6E-103は1977年の再発である。
日本初盤(ワーナー・パイオニア P-10221Y)とUSオリジナル(Asylum Records 7E-1084)3枚。手前は2011年DSDマスター使用の日本製SACD(ワーナーミュージック・ジャパン WPCR-14165)。
さて、では、工場違いの話に入ろう。
Discogsをみると、初盤である7E-1084は、レコード・クラブ盤をのぞいて、次の4つの工場でプレスされていることがわかる。
1. 東部ペンシルヴェニアにあるスペシャルティ・レコ―ズ(Specialty Records)―SP
2. 中部インディアナのリッチモンドにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)―PRC
3. 西部カリフォルニアにあるコロンビア・レコ―ズのサンタ・マリア工場(Columbia Records Pressing Plant, Santa Maria)―CSM
4. 西部カリフォルニアにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)のコンプトン工場―PRCW
(どこの工場でプレスされたかは、SP、PRC、CSM、PRCWという略号がレーベル上に明記されているので、すぐにわかる。)
PRCのコンプトン工場は75年12月にオープンしたばかりの工場で、76年12月リリースの初盤の時点でプレスを依頼していたかは疑わしい。
コンプトン工場はサンタ・マリア工場の後を受けてアサイラムの西部メイン工場になるところのようだし、Discogsを見るとコンプトン工場の盤はMatrix末尾8以降のようなので、77年以降に(多少重なっている期間があるかもしれないが)サンタ・マリア工場の後をうけてプレスを行った工場だと考えるのが合理的だと思う。
PRCのリッチモンド工場のほうは初盤からプレスしていただろうが、中部をオリジナル工場とする根拠はまったくないので、除外していいだろう。
残るは、西部CSM工場と東部SP工場である。
東部SP工場産のレーベル
西部CSM工場産のレーベル
アサイラムはもともと西部ロサンジェルスの会社だが、73年8月にニューヨークのエレクトラ・レコ―ズ(Elektra Records)と統合している。
しかも、統合後レーベル上に表記されるエレクトラ/アサイラムの住所は、当初はエレクトラのニューヨークの住所だったし、74年にはロサンジェルスの住所にかわるがその住所は元々エレクトラの西海岸オフィスのあったところである。
アサイラムは西部の会社だから西部CSM工場がオリジナルと考えるのが素直かもしれないが、アサイラム・レーベルでのリリースについても、エレクトラが強い影響力を及ぼしていたとすると、東部SP工場がオリジナルということも十分に考えられると思うのである。
エレクトラ/アサイラム内部のこの攻防こそが、オリジナル工場の確定を迷わせる最大の要因なのだ。
そして、ボクは現在、SP工場オリジナル説にかなり傾いているのである。
その理由は4つある。
一つずつ見ていこう。
その1 ジャケットの謎
ホテル・カリフォルニアのジャケットには、ほんのちょっと違っているだけだが、二つの種類がある。
裏ジャケ下部の住所表記の部分が違っているのだ。
一つはフォントが大きく(したがってその分長い)最後のワーナーロゴが小さいタイプ(タイプAと呼ぶことにする)で、もう一つはフォントが小さく(したがってその分短い)最後のワーナーロゴが大きいタイプ(タイプBと呼ぶことにする)である。
ボクの手持ちでは、CSM工場産の二枚がタイプAでSP工場産の一枚がタイプBだった。
上がSP工場産のタイプBで下がCSM工場産のタイプA
タイプAのほうはCalifornia 90069.とA Division ofの間にスペースがあるので、クレジット全体の長さと合わせると、遠目でもタイプAかタイプBかの判定は簡単にできる。
つまり、Discogsやオークションでの地引網調査ができる。
もっとも、地引網調査の過程で、ショップが出品しているオークションなどではジャケット写真の使いまわしもあることが判明したので、オークションでの確認については、使いまわしでないことが明らかなもののみに限定した。
地引網調査でボクが確認した限りでは、タイプAはCSM工場産にしかない。
SP工場産、PRC工場産、PRCW工場産は最初からタイプBのようだ。
西部も最終的にはタイプBになる(6E-103になると西部はPRCW工場産になるがすべてタイプBである)ことからすると、タイプAが初回ジャケットと考えることができそうである。
こういうときに参考になるのは日本盤だ。
ジャケの変更があったとき、日本には変更前のジャケットデザインが送られ、ずっとそれで製造されることがよくある。
ってことで、日本盤を見てみると・・・
一番下に日本盤を追加
ほらタイプAだ。
これでSP工場産もPRC工場産も最初はタイプAだったということなら、すんなり初回ジャケはタイプAということで問題解決なのだが、上記のようにSP工場産やPRC工場産にタイプAはなさそうなのである。
仮にあったとしても、さしあたり見つからなかったことからして、ごく初期のみで少数しか存在しないんだと思う。
しかし、はたしてこんな微妙なマイナーチェンジをリリース後にわざわざするもんだろうか?
※ツイッターでSP工場産の盤(マトは7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SPとのこと)がタイプAのジャケットに入っているものをお持ちだという情報をいただいた。
しかし、それがリリース当時に新品を買ったワンオーナーものだというのなら、ただちにSP工場産も最初はタイプAだったという結論が導けるが、中古で購入したものの場合、バカ売れしたレコードであるだけに中古レコード屋さんのところで入れ替えがあった可能性が否定できず、ただちに結論を導くことはできない。
SP工場産やPRC工場産も最初はタイプAだったという結論を導くためには、ある程度の確率でタイプAのジャケに入ったSP工場産やPRC工場産の盤が見つかる必要があると思う。
ってことで、そういう組み合わせのものをお持ちの場合は、ぜひ情報提供を御願いします。
(2018年10月21日追記)
※この記事のコメントで、SP工場プレスの盤でタイプAのジャケットに入っているものをお持ちの方から情報をいただいた。
リリースから間もない頃に、新品を購入したものだという。
ということは、SP工場プレスの盤も、最初はタイプAのジャケットに入っていたということだろうか?
もちろん、その可能性はあると思う。
もっとも、タイプAのジャケットに入っているSP工場プレス盤はほとんどみかけないから、仮に、SP工場プレスでも当初はタイプAのジャケットが使われていたとしても、本当にごく初期だけだったんじゃないだろうか。
しかし、ボクは、別の可能性を考えている。
というのも、今回の情報は、「日本に輸入盤として入ってきたもの」の情報だからである。
周知のように、当時アメリカから日本への輸入盤は西海岸から船便で届いていた。
つまり、当時日本に入ってきたのは基本的にCSM工場プレスの盤だったはずだ。
そこにSP工場プレスが混じるというのは、たぶん、CSM工場での生産量だけでは輸出に必要な量に到達せず、東海岸のSP工場から(場合によっては中部のPRC工場からも?)調達したということだろう。
盤とジャケットは別工場で製造するものだから、そのとき、盤だけをSP工場(あるいはPRC工場)から調達し、ジャケットは手許にあるものを使ったということも起こり得たんじゃないかと思うのである。
そんな風にして、タイプAのジャケットに入ったSP工場プレス盤が生まれたんじゃないだろうか。
真相はわからないが、あながち荒唐無稽な妄想でもないと思うのだがどうだろう?
(2020年8月17日追記)
文字フォントを小さくしてワーナーロゴを大きくするということ自体の意図はよくわかるし、最終的にタイプBに統一されていくことからしても、タイプBが完成型だと思うのだが、タイプAでのリリース後にわざわざ変更するほどのものとも思えないのである。
むしろ、初盤の時点ですでにジャケはタイプBってことに決定していたのに、西部にはそれが伝わらずにタイプAで製造してしまったと考えるほうが合理的な気がする。
つまり、この点の最終決定は東部で行われたんじゃないだろうか(下部のクレジットの細かい点なので、アーティストの意向を確認する必要性はなかったと思う)。
東部にジャケットについての最終決定権があったとすると、オリジナル工場も東部SP工場だったという可能性も否定できないと思うのである。
その2 Matrix末尾
Matrix末尾に目を向けてみよう。
手持ちのSP工場産は、7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SPで末尾に数字はない。
CSM工場産のほうは、一枚が7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMで、もう一枚が7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMである。
SP工場産のMatrix。末尾がない。
CSM工場産のMatrix。マト4のほう。
どうも、最初に切られたラッカーがSP工場に、後で切られたラッカーがCSM工場にまわされたようにみえる。
ってことで、これまたDiscogsで地引網調査をしてみると、手持ちも合わせて次のようになっていた。
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
SP工場
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SP
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B-1 RE SP
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B-1 RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A14 -SP/7E 1084 B14 -SP
CSM工場
7E 1084 A-2 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM(テスト・プレス)
7E 1084(7E 1028を修正消し後に追記) A-3 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-3 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-10 RE CSM
PRC工場
7E 1084 A RE-6 PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-7 RE PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B-13 PRC
PRCW工場
7E 1084 A RE-8 PRCW/7E 1084 B RE-8 PRCW
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B RE-8 PRCW
以上の情報から、Matrix末尾については、SP工場には無しか1、CSM工場に2から5、PRC工場に6と7がまわされたのだと思われる。
PRCW工場の8以降は(CSM工場の10、PRC工場の11や13、SP工場の14も含めて)追加カッティングなんじゃないかと思うんだがどうだろう?
先にカッティングされたラッカーをまわした工場が必ずしもオリジナル工場というわけではないとしても、SP工場にまわされた盤に末尾がないことはとても気になる。
SP工場の末尾無しのラッカーは、STERLINGのスタジオで最初に切られたもので、バンドのメンバーかあるいはプロデューサーのBill Szymczykがそこで聴いて承認したものなんじゃないか。
このアルバムのレコーディングは、マイアミとロサンジェルスで行われているが、最終的なミックス・ダウンはプロデューサー/エンジニアのBill Szymczykによってマイアミで行われている。
マイアミからマスターテープをもってニューヨークのSTERLINGスタジオに立ち寄ったBill Szymczykが、Lee Hulkoの最初にカットした末尾無しのラッカーを聴いて承認した。
うん、ありそうじゃないか。
もしそうだとしたら、そのラッカーでプレスしたSP工場こそオリジナル工場なんじゃないだろうか。
あらたにいただいたCSM工場のMatrix情報で、A面のマト3では、7E 1028が修正消しされた後に7E 1084が追記されていることが判明した。
7E 1028が最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だったりすると、いろいろ推測できるのだが、調べてみると1975年にElektraからリリースされたDavid Gatesの"Never Let Her Go"のレコード番号なので、それが最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だという可能性はないと思う。
"Hotel California"のカッティングと同時期に"Never Let Her Go"のリカッティングでも依頼されていて、間違えて刻んでしまったのだろうか?
でも、"Never Let Her Go"のオリジナルのカッティングはTMLで、STERLINGでリカッティングされた形跡も(少なくともDiscogsを見る限り)ないんだよねぇ・・・
ってことで、この修正がどういう経緯で行われたのかは、ちょっとわからない。
その3 Lee Hulkoのサイン
末尾なし盤が最初に切られたラッカーである可能性を示唆する事実がもう一つある。STERLING刻印に添えられたLee Hulkoのイニシャルだ。
Lee Hulkoがカッティングしたときは、STERLING刻印にLHのイニシャルが添えられる。
彼はBob Ludwigと違って律儀な人で、必ず両面にLHと彫る。
SP工場産A面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られている。
SP工場産B面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られていない。
CSM工場産についてあらたにいただいたMatrix情報で、A面のマト5とB面のマト10についてLHのイニシャルがないことが判明した。
ってことで、この第3の根拠はみごとに崩されてしまった。
Lee Hulkoさん、きっちりした性格かと思ってたけど、案外うっかりさんだったのね(笑)
(2018年10月21日追記)
その4 エレクトラ勢力の拡大?
ボクがSP工場オリジナル説に傾く最大の理由が、実はこれである。
1976年に入り、エレクトラ/アサイラムにおけるエレクトラ勢力が拡大し、アサイラム・リリースに対するエレクトラ側からの影響力がかなり強まったのではないかと、ボクは考えている。
とはいえ、すでにずいぶん長い記事になってしまったし、この点についての説明はまた別の機会に譲ることにしよう。
まだ仮説を根拠づける証拠が十分にそろえられていないところもあるので、もう少し研究を進めてから記事にしたほうがいい気がしてきたし。
おっと忘れるところだった。
最後に、音質のことを少し。
うちのオーディオ・システムでの、あくまで手持ち盤の比較なので、あしからず。
以下、タイトル曲”Hotel California”で聴き比べた印象である。
ガキの頃から聴き馴染んできた日本盤は、個々の楽器の音色が鮮度感を欠いているうえに音場も平板で立体感がない。
CSMのマト10も日本盤ほどひどくはないが音色的には響きの豊かさを欠く。もっとも、音場には米西海岸らしい広がりが感じられるので、悪くはない。
しかし、CSMのマト4やSPのマト末尾無しがやはり飛びぬけている。
どちらも、個々の楽器の音色については響きが豊かで十分な鮮度感がある。
とはいえ、全体的な印象はかなり違う。
SPマト末尾無しは、個々の楽器の音色が明快で引き締まり、タイトに聴かせる。
CSMマト4は、個々の楽器の音の輪郭が微妙に甘くなるが、そのぶん、ふんわりと自然に音場が広がる。
これはもう、どっちが好みかの問題だし、システムによっても違うんじゃないかと思う。
しかもCSMには、ボクは聴いたことがないが、マト3(A面しか確認してないが。B面しか確認してないものではマト2もある。)がある。
いまのところSPとCSM甲乙つけがたしというのがボクの印象だが、マト3を聴いたら、もしかしたらCSMに軍配をあげるかもしれない。
あっ、そうだ。
SACDも悪くないよ(笑)
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