ホテル・カリフォルニアへの長い旅 [アナログ・コレクターの覚書]
あらたにいただいた情報をふまえて追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報とジャケット情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
2年くらい前までは、US盤工場違いの聴き比べなんて足を踏み入れちゃいけない世界だと思っていたのに、いまのボクは、紙ジャケ探検隊がまき散らす感染力の強力なコレクターズ・ウイルスにすっかり侵されてしまっている。
US盤がオリジナルのレコードの場合、もちろん思い入れのあるレコードに限られはするが、どこがオリジナル工場なのかを突き止めないではいられない身体になってしまったのである(笑)
で、イーグルス(Eagles)の『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』だ。
いろいろ掘っているのだが、どこがオリジナル工場なのか、いまだにわからない。
そんなときは、いったん立ち止まって先輩諸氏からの助言をいただくのが得策である。
ってことで、これまでにわかったこと、推測(妄想? 笑)したことなんかを、とりあえずまとめてみることにした。
まずは基本的なところの確認である。
このレコードは1976年12月8日にアサイラム・レコ―ズ(Asylum Records)からリリースされたが、そのときのレコード番号は7E-1084だ。
数字が若いうえにDiscogsでは初盤と同じ1976年にリリースされたことになっているのでたまに混乱している人がいるが、手元のGoldmineによれば、6E-103は1977年の再発である。
日本初盤(ワーナー・パイオニア P-10221Y)とUSオリジナル(Asylum Records 7E-1084)3枚。手前は2011年DSDマスター使用の日本製SACD(ワーナーミュージック・ジャパン WPCR-14165)。
さて、では、工場違いの話に入ろう。
Discogsをみると、初盤である7E-1084は、レコード・クラブ盤をのぞいて、次の4つの工場でプレスされていることがわかる。
1. 東部ペンシルヴェニアにあるスペシャルティ・レコ―ズ(Specialty Records)―SP
2. 中部インディアナのリッチモンドにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)―PRC
3. 西部カリフォルニアにあるコロンビア・レコ―ズのサンタ・マリア工場(Columbia Records Pressing Plant, Santa Maria)―CSM
4. 西部カリフォルニアにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)のコンプトン工場―PRCW
(どこの工場でプレスされたかは、SP、PRC、CSM、PRCWという略号がレーベル上に明記されているので、すぐにわかる。)
PRCのコンプトン工場は75年12月にオープンしたばかりの工場で、76年12月リリースの初盤の時点でプレスを依頼していたかは疑わしい。
コンプトン工場はサンタ・マリア工場の後を受けてアサイラムの西部メイン工場になるところのようだし、Discogsを見るとコンプトン工場の盤はMatrix末尾8以降のようなので、77年以降に(多少重なっている期間があるかもしれないが)サンタ・マリア工場の後をうけてプレスを行った工場だと考えるのが合理的だと思う。
PRCのリッチモンド工場のほうは初盤からプレスしていただろうが、中部をオリジナル工場とする根拠はまったくないので、除外していいだろう。
残るは、西部CSM工場と東部SP工場である。
東部SP工場産のレーベル
西部CSM工場産のレーベル
アサイラムはもともと西部ロサンジェルスの会社だが、73年8月にニューヨークのエレクトラ・レコ―ズ(Elektra Records)と統合している。
しかも、統合後レーベル上に表記されるエレクトラ/アサイラムの住所は、当初はエレクトラのニューヨークの住所だったし、74年にはロサンジェルスの住所にかわるがその住所は元々エレクトラの西海岸オフィスのあったところである。
アサイラムは西部の会社だから西部CSM工場がオリジナルと考えるのが素直かもしれないが、アサイラム・レーベルでのリリースについても、エレクトラが強い影響力を及ぼしていたとすると、東部SP工場がオリジナルということも十分に考えられると思うのである。
エレクトラ/アサイラム内部のこの攻防こそが、オリジナル工場の確定を迷わせる最大の要因なのだ。
そして、ボクは現在、SP工場オリジナル説にかなり傾いているのである。
その理由は4つある。
一つずつ見ていこう。
その1 ジャケットの謎
ホテル・カリフォルニアのジャケットには、ほんのちょっと違っているだけだが、二つの種類がある。
裏ジャケ下部の住所表記の部分が違っているのだ。
一つはフォントが大きく(したがってその分長い)最後のワーナーロゴが小さいタイプ(タイプAと呼ぶことにする)で、もう一つはフォントが小さく(したがってその分短い)最後のワーナーロゴが大きいタイプ(タイプBと呼ぶことにする)である。
ボクの手持ちでは、CSM工場産の二枚がタイプAでSP工場産の一枚がタイプBだった。
上がSP工場産のタイプBで下がCSM工場産のタイプA
タイプAのほうはCalifornia 90069.とA Division ofの間にスペースがあるので、クレジット全体の長さと合わせると、遠目でもタイプAかタイプBかの判定は簡単にできる。
つまり、Discogsやオークションでの地引網調査ができる。
もっとも、地引網調査の過程で、ショップが出品しているオークションなどではジャケット写真の使いまわしもあることが判明したので、オークションでの確認については、使いまわしでないことが明らかなもののみに限定した。
地引網調査でボクが確認した限りでは、タイプAはCSM工場産にしかない。
SP工場産、PRC工場産、PRCW工場産は最初からタイプBのようだ。
西部も最終的にはタイプBになる(6E-103になると西部はPRCW工場産になるがすべてタイプBである)ことからすると、タイプAが初回ジャケットと考えることができそうである。
こういうときに参考になるのは日本盤だ。
ジャケの変更があったとき、日本には変更前のジャケットデザインが送られ、ずっとそれで製造されることがよくある。
ってことで、日本盤を見てみると・・・
一番下に日本盤を追加
ほらタイプAだ。
これでSP工場産もPRC工場産も最初はタイプAだったということなら、すんなり初回ジャケはタイプAということで問題解決なのだが、上記のようにSP工場産やPRC工場産にタイプAはなさそうなのである。
仮にあったとしても、さしあたり見つからなかったことからして、ごく初期のみで少数しか存在しないんだと思う。
しかし、はたしてこんな微妙なマイナーチェンジをリリース後にわざわざするもんだろうか?
※ツイッターでSP工場産の盤(マトは7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SPとのこと)がタイプAのジャケットに入っているものをお持ちだという情報をいただいた。
しかし、それがリリース当時に新品を買ったワンオーナーものだというのなら、ただちにSP工場産も最初はタイプAだったという結論が導けるが、中古で購入したものの場合、バカ売れしたレコードであるだけに中古レコード屋さんのところで入れ替えがあった可能性が否定できず、ただちに結論を導くことはできない。
SP工場産やPRC工場産も最初はタイプAだったという結論を導くためには、ある程度の確率でタイプAのジャケに入ったSP工場産やPRC工場産の盤が見つかる必要があると思う。
ってことで、そういう組み合わせのものをお持ちの場合は、ぜひ情報提供を御願いします。
(2018年10月21日追記)
※この記事のコメントで、SP工場プレスの盤でタイプAのジャケットに入っているものをお持ちの方から情報をいただいた。
リリースから間もない頃に、新品を購入したものだという。
ということは、SP工場プレスの盤も、最初はタイプAのジャケットに入っていたということだろうか?
もちろん、その可能性はあると思う。
もっとも、タイプAのジャケットに入っているSP工場プレス盤はほとんどみかけないから、仮に、SP工場プレスでも当初はタイプAのジャケットが使われていたとしても、本当にごく初期だけだったんじゃないだろうか。
しかし、ボクは、別の可能性を考えている。
というのも、今回の情報は、「日本に輸入盤として入ってきたもの」の情報だからである。
周知のように、当時アメリカから日本への輸入盤は西海岸から船便で届いていた。
つまり、当時日本に入ってきたのは基本的にCSM工場プレスの盤だったはずだ。
そこにSP工場プレスが混じるというのは、たぶん、CSM工場での生産量だけでは輸出に必要な量に到達せず、東海岸のSP工場から(場合によっては中部のPRC工場からも?)調達したということだろう。
盤とジャケットは別工場で製造するものだから、そのとき、盤だけをSP工場(あるいはPRC工場)から調達し、ジャケットは手許にあるものを使ったということも起こり得たんじゃないかと思うのである。
そんな風にして、タイプAのジャケットに入ったSP工場プレス盤が生まれたんじゃないだろうか。
真相はわからないが、あながち荒唐無稽な妄想でもないと思うのだがどうだろう?
(2020年8月17日追記)
文字フォントを小さくしてワーナーロゴを大きくするということ自体の意図はよくわかるし、最終的にタイプBに統一されていくことからしても、タイプBが完成型だと思うのだが、タイプAでのリリース後にわざわざ変更するほどのものとも思えないのである。
むしろ、初盤の時点ですでにジャケはタイプBってことに決定していたのに、西部にはそれが伝わらずにタイプAで製造してしまったと考えるほうが合理的な気がする。
つまり、この点の最終決定は東部で行われたんじゃないだろうか(下部のクレジットの細かい点なので、アーティストの意向を確認する必要性はなかったと思う)。
東部にジャケットについての最終決定権があったとすると、オリジナル工場も東部SP工場だったという可能性も否定できないと思うのである。
その2 Matrix末尾
Matrix末尾に目を向けてみよう。
手持ちのSP工場産は、7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SPで末尾に数字はない。
CSM工場産のほうは、一枚が7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMで、もう一枚が7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMである。
SP工場産のMatrix。末尾がない。
CSM工場産のMatrix。マト4のほう。
どうも、最初に切られたラッカーがSP工場に、後で切られたラッカーがCSM工場にまわされたようにみえる。
ってことで、これまたDiscogsで地引網調査をしてみると、手持ちも合わせて次のようになっていた。
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
SP工場
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SP
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B-1 RE SP
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B-1 RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A14 -SP/7E 1084 B14 -SP
CSM工場
7E 1084 A-2 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM(テスト・プレス)
7E 1084(7E 1028を修正消し後に追記) A-3 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-3 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-10 RE CSM
PRC工場
7E 1084 A RE-6 PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-7 RE PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B-13 PRC
PRCW工場
7E 1084 A RE-8 PRCW/7E 1084 B RE-8 PRCW
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B RE-8 PRCW
以上の情報から、Matrix末尾については、SP工場には無しか1、CSM工場に2から5、PRC工場に6と7がまわされたのだと思われる。
PRCW工場の8以降は(CSM工場の10、PRC工場の11や13、SP工場の14も含めて)追加カッティングなんじゃないかと思うんだがどうだろう?
先にカッティングされたラッカーをまわした工場が必ずしもオリジナル工場というわけではないとしても、SP工場にまわされた盤に末尾がないことはとても気になる。
SP工場の末尾無しのラッカーは、STERLINGのスタジオで最初に切られたもので、バンドのメンバーかあるいはプロデューサーのBill Szymczykがそこで聴いて承認したものなんじゃないか。
このアルバムのレコーディングは、マイアミとロサンジェルスで行われているが、最終的なミックス・ダウンはプロデューサー/エンジニアのBill Szymczykによってマイアミで行われている。
マイアミからマスターテープをもってニューヨークのSTERLINGスタジオに立ち寄ったBill Szymczykが、Lee Hulkoの最初にカットした末尾無しのラッカーを聴いて承認した。
うん、ありそうじゃないか。
もしそうだとしたら、そのラッカーでプレスしたSP工場こそオリジナル工場なんじゃないだろうか。
あらたにいただいたCSM工場のMatrix情報で、A面のマト3では、7E 1028が修正消しされた後に7E 1084が追記されていることが判明した。
7E 1028が最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だったりすると、いろいろ推測できるのだが、調べてみると1975年にElektraからリリースされたDavid Gatesの"Never Let Her Go"のレコード番号なので、それが最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だという可能性はないと思う。
"Hotel California"のカッティングと同時期に"Never Let Her Go"のリカッティングでも依頼されていて、間違えて刻んでしまったのだろうか?
でも、"Never Let Her Go"のオリジナルのカッティングはTMLで、STERLINGでリカッティングされた形跡も(少なくともDiscogsを見る限り)ないんだよねぇ・・・
ってことで、この修正がどういう経緯で行われたのかは、ちょっとわからない。
その3 Lee Hulkoのサイン
末尾なし盤が最初に切られたラッカーである可能性を示唆する事実がもう一つある。STERLING刻印に添えられたLee Hulkoのイニシャルだ。
Lee Hulkoがカッティングしたときは、STERLING刻印にLHのイニシャルが添えられる。
彼はBob Ludwigと違って律儀な人で、必ず両面にLHと彫る。
実際、このホテル・カリフォルニアもすべての面のSTERLINGにLHが添えられている。
ただ一つ、末尾無しのB面をのぞいて。
そう、SP工場のMatrix末尾無しのB面のみ、LHのイニシャルが彫られていないのである。
SP工場産A面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られている。
SP工場産B面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られていない。
この事実もまた、両面末尾無しのラッカーが最初に切られ、承認にまわされたものであることを示すんじゃないかと思うのである。
CSM工場産についてあらたにいただいたMatrix情報で、A面のマト5とB面のマト10についてLHのイニシャルがないことが判明した。
ってことで、この第3の根拠はみごとに崩されてしまった。
Lee Hulkoさん、きっちりした性格かと思ってたけど、案外うっかりさんだったのね(笑)
(2018年10月21日追記)
その4 エレクトラ勢力の拡大?
ボクがSP工場オリジナル説に傾く最大の理由が、実はこれである。
1976年に入り、エレクトラ/アサイラムにおけるエレクトラ勢力が拡大し、アサイラム・リリースに対するエレクトラ側からの影響力がかなり強まったのではないかと、ボクは考えている。
とはいえ、すでにずいぶん長い記事になってしまったし、この点についての説明はまた別の機会に譲ることにしよう。
まだ仮説を根拠づける証拠が十分にそろえられていないところもあるので、もう少し研究を進めてから記事にしたほうがいい気がしてきたし。
おっと忘れるところだった。
最後に、音質のことを少し。
うちのオーディオ・システムでの、あくまで手持ち盤の比較なので、あしからず。
以下、タイトル曲”Hotel California”で聴き比べた印象である。
ガキの頃から聴き馴染んできた日本盤は、個々の楽器の音色が鮮度感を欠いているうえに音場も平板で立体感がない。
CSMのマト10も日本盤ほどひどくはないが音色的には響きの豊かさを欠く。もっとも、音場には米西海岸らしい広がりが感じられるので、悪くはない。
しかし、CSMのマト4やSPのマト末尾無しがやはり飛びぬけている。
どちらも、個々の楽器の音色については響きが豊かで十分な鮮度感がある。
とはいえ、全体的な印象はかなり違う。
SPマト末尾無しは、個々の楽器の音色が明快で引き締まり、タイトに聴かせる。
CSMマト4は、個々の楽器の音の輪郭が微妙に甘くなるが、そのぶん、ふんわりと自然に音場が広がる。
これはもう、どっちが好みかの問題だし、システムによっても違うんじゃないかと思う。
しかもCSMには、ボクは聴いたことがないが、マト3(A面しか確認してないが。B面しか確認してないものではマト2もある。)がある。
いまのところSPとCSM甲乙つけがたしというのがボクの印象だが、マト3を聴いたら、もしかしたらCSMに軍配をあげるかもしれない。
あっ、そうだ。
SACDも悪くないよ(笑)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報とジャケット情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
2年くらい前までは、US盤工場違いの聴き比べなんて足を踏み入れちゃいけない世界だと思っていたのに、いまのボクは、紙ジャケ探検隊がまき散らす感染力の強力なコレクターズ・ウイルスにすっかり侵されてしまっている。
US盤がオリジナルのレコードの場合、もちろん思い入れのあるレコードに限られはするが、どこがオリジナル工場なのかを突き止めないではいられない身体になってしまったのである(笑)
で、イーグルス(Eagles)の『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』だ。
いろいろ掘っているのだが、どこがオリジナル工場なのか、いまだにわからない。
そんなときは、いったん立ち止まって先輩諸氏からの助言をいただくのが得策である。
ってことで、これまでにわかったこと、推測(妄想? 笑)したことなんかを、とりあえずまとめてみることにした。
まずは基本的なところの確認である。
このレコードは1976年12月8日にアサイラム・レコ―ズ(Asylum Records)からリリースされたが、そのときのレコード番号は7E-1084だ。
数字が若いうえにDiscogsでは初盤と同じ1976年にリリースされたことになっているのでたまに混乱している人がいるが、手元のGoldmineによれば、6E-103は1977年の再発である。
日本初盤(ワーナー・パイオニア P-10221Y)とUSオリジナル(Asylum Records 7E-1084)3枚。手前は2011年DSDマスター使用の日本製SACD(ワーナーミュージック・ジャパン WPCR-14165)。
さて、では、工場違いの話に入ろう。
Discogsをみると、初盤である7E-1084は、レコード・クラブ盤をのぞいて、次の4つの工場でプレスされていることがわかる。
1. 東部ペンシルヴェニアにあるスペシャルティ・レコ―ズ(Specialty Records)―SP
2. 中部インディアナのリッチモンドにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)―PRC
3. 西部カリフォルニアにあるコロンビア・レコ―ズのサンタ・マリア工場(Columbia Records Pressing Plant, Santa Maria)―CSM
4. 西部カリフォルニアにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)のコンプトン工場―PRCW
(どこの工場でプレスされたかは、SP、PRC、CSM、PRCWという略号がレーベル上に明記されているので、すぐにわかる。)
PRCのコンプトン工場は75年12月にオープンしたばかりの工場で、76年12月リリースの初盤の時点でプレスを依頼していたかは疑わしい。
コンプトン工場はサンタ・マリア工場の後を受けてアサイラムの西部メイン工場になるところのようだし、Discogsを見るとコンプトン工場の盤はMatrix末尾8以降のようなので、77年以降に(多少重なっている期間があるかもしれないが)サンタ・マリア工場の後をうけてプレスを行った工場だと考えるのが合理的だと思う。
PRCのリッチモンド工場のほうは初盤からプレスしていただろうが、中部をオリジナル工場とする根拠はまったくないので、除外していいだろう。
残るは、西部CSM工場と東部SP工場である。
東部SP工場産のレーベル
西部CSM工場産のレーベル
アサイラムはもともと西部ロサンジェルスの会社だが、73年8月にニューヨークのエレクトラ・レコ―ズ(Elektra Records)と統合している。
しかも、統合後レーベル上に表記されるエレクトラ/アサイラムの住所は、当初はエレクトラのニューヨークの住所だったし、74年にはロサンジェルスの住所にかわるがその住所は元々エレクトラの西海岸オフィスのあったところである。
アサイラムは西部の会社だから西部CSM工場がオリジナルと考えるのが素直かもしれないが、アサイラム・レーベルでのリリースについても、エレクトラが強い影響力を及ぼしていたとすると、東部SP工場がオリジナルということも十分に考えられると思うのである。
エレクトラ/アサイラム内部のこの攻防こそが、オリジナル工場の確定を迷わせる最大の要因なのだ。
そして、ボクは現在、SP工場オリジナル説にかなり傾いているのである。
その理由は4つある。
一つずつ見ていこう。
その1 ジャケットの謎
ホテル・カリフォルニアのジャケットには、ほんのちょっと違っているだけだが、二つの種類がある。
裏ジャケ下部の住所表記の部分が違っているのだ。
一つはフォントが大きく(したがってその分長い)最後のワーナーロゴが小さいタイプ(タイプAと呼ぶことにする)で、もう一つはフォントが小さく(したがってその分短い)最後のワーナーロゴが大きいタイプ(タイプBと呼ぶことにする)である。
ボクの手持ちでは、CSM工場産の二枚がタイプAでSP工場産の一枚がタイプBだった。
上がSP工場産のタイプBで下がCSM工場産のタイプA
タイプAのほうはCalifornia 90069.とA Division ofの間にスペースがあるので、クレジット全体の長さと合わせると、遠目でもタイプAかタイプBかの判定は簡単にできる。
つまり、Discogsやオークションでの地引網調査ができる。
もっとも、地引網調査の過程で、ショップが出品しているオークションなどではジャケット写真の使いまわしもあることが判明したので、オークションでの確認については、使いまわしでないことが明らかなもののみに限定した。
地引網調査でボクが確認した限りでは、タイプAはCSM工場産にしかない。
SP工場産、PRC工場産、PRCW工場産は最初からタイプBのようだ。
西部も最終的にはタイプBになる(6E-103になると西部はPRCW工場産になるがすべてタイプBである)ことからすると、タイプAが初回ジャケットと考えることができそうである。
こういうときに参考になるのは日本盤だ。
ジャケの変更があったとき、日本には変更前のジャケットデザインが送られ、ずっとそれで製造されることがよくある。
ってことで、日本盤を見てみると・・・
一番下に日本盤を追加
ほらタイプAだ。
これでSP工場産もPRC工場産も最初はタイプAだったということなら、すんなり初回ジャケはタイプAということで問題解決なのだが、上記のようにSP工場産やPRC工場産にタイプAはなさそうなのである。
仮にあったとしても、さしあたり見つからなかったことからして、ごく初期のみで少数しか存在しないんだと思う。
しかし、はたしてこんな微妙なマイナーチェンジをリリース後にわざわざするもんだろうか?
※ツイッターでSP工場産の盤(マトは7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SPとのこと)がタイプAのジャケットに入っているものをお持ちだという情報をいただいた。
しかし、それがリリース当時に新品を買ったワンオーナーものだというのなら、ただちにSP工場産も最初はタイプAだったという結論が導けるが、中古で購入したものの場合、バカ売れしたレコードであるだけに中古レコード屋さんのところで入れ替えがあった可能性が否定できず、ただちに結論を導くことはできない。
SP工場産やPRC工場産も最初はタイプAだったという結論を導くためには、ある程度の確率でタイプAのジャケに入ったSP工場産やPRC工場産の盤が見つかる必要があると思う。
ってことで、そういう組み合わせのものをお持ちの場合は、ぜひ情報提供を御願いします。
(2018年10月21日追記)
※この記事のコメントで、SP工場プレスの盤でタイプAのジャケットに入っているものをお持ちの方から情報をいただいた。
リリースから間もない頃に、新品を購入したものだという。
ということは、SP工場プレスの盤も、最初はタイプAのジャケットに入っていたということだろうか?
もちろん、その可能性はあると思う。
もっとも、タイプAのジャケットに入っているSP工場プレス盤はほとんどみかけないから、仮に、SP工場プレスでも当初はタイプAのジャケットが使われていたとしても、本当にごく初期だけだったんじゃないだろうか。
しかし、ボクは、別の可能性を考えている。
というのも、今回の情報は、「日本に輸入盤として入ってきたもの」の情報だからである。
周知のように、当時アメリカから日本への輸入盤は西海岸から船便で届いていた。
つまり、当時日本に入ってきたのは基本的にCSM工場プレスの盤だったはずだ。
そこにSP工場プレスが混じるというのは、たぶん、CSM工場での生産量だけでは輸出に必要な量に到達せず、東海岸のSP工場から(場合によっては中部のPRC工場からも?)調達したということだろう。
盤とジャケットは別工場で製造するものだから、そのとき、盤だけをSP工場(あるいはPRC工場)から調達し、ジャケットは手許にあるものを使ったということも起こり得たんじゃないかと思うのである。
そんな風にして、タイプAのジャケットに入ったSP工場プレス盤が生まれたんじゃないだろうか。
真相はわからないが、あながち荒唐無稽な妄想でもないと思うのだがどうだろう?
(2020年8月17日追記)
文字フォントを小さくしてワーナーロゴを大きくするということ自体の意図はよくわかるし、最終的にタイプBに統一されていくことからしても、タイプBが完成型だと思うのだが、タイプAでのリリース後にわざわざ変更するほどのものとも思えないのである。
むしろ、初盤の時点ですでにジャケはタイプBってことに決定していたのに、西部にはそれが伝わらずにタイプAで製造してしまったと考えるほうが合理的な気がする。
つまり、この点の最終決定は東部で行われたんじゃないだろうか(下部のクレジットの細かい点なので、アーティストの意向を確認する必要性はなかったと思う)。
東部にジャケットについての最終決定権があったとすると、オリジナル工場も東部SP工場だったという可能性も否定できないと思うのである。
その2 Matrix末尾
Matrix末尾に目を向けてみよう。
手持ちのSP工場産は、7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SPで末尾に数字はない。
CSM工場産のほうは、一枚が7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMで、もう一枚が7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMである。
SP工場産のMatrix。末尾がない。
CSM工場産のMatrix。マト4のほう。
どうも、最初に切られたラッカーがSP工場に、後で切られたラッカーがCSM工場にまわされたようにみえる。
ってことで、これまたDiscogsで地引網調査をしてみると、手持ちも合わせて次のようになっていた。
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)
SP工場
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SP
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B-1 RE SP
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B-1 RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A14 -SP/7E 1084 B14 -SP
CSM工場
7E 1084 A-2 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM(テスト・プレス)
7E 1084(7E 1028を修正消し後に追記) A-3 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-3 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-10 RE CSM
PRC工場
7E 1084 A RE-6 PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-7 RE PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B-13 PRC
PRCW工場
7E 1084 A RE-8 PRCW/7E 1084 B RE-8 PRCW
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B RE-8 PRCW
以上の情報から、Matrix末尾については、SP工場には無しか1、CSM工場に2から5、PRC工場に6と7がまわされたのだと思われる。
PRCW工場の8以降は(CSM工場の10、PRC工場の11や13、SP工場の14も含めて)追加カッティングなんじゃないかと思うんだがどうだろう?
先にカッティングされたラッカーをまわした工場が必ずしもオリジナル工場というわけではないとしても、SP工場にまわされた盤に末尾がないことはとても気になる。
SP工場の末尾無しのラッカーは、STERLINGのスタジオで最初に切られたもので、バンドのメンバーかあるいはプロデューサーのBill Szymczykがそこで聴いて承認したものなんじゃないか。
このアルバムのレコーディングは、マイアミとロサンジェルスで行われているが、最終的なミックス・ダウンはプロデューサー/エンジニアのBill Szymczykによってマイアミで行われている。
マイアミからマスターテープをもってニューヨークのSTERLINGスタジオに立ち寄ったBill Szymczykが、Lee Hulkoの最初にカットした末尾無しのラッカーを聴いて承認した。
うん、ありそうじゃないか。
もしそうだとしたら、そのラッカーでプレスしたSP工場こそオリジナル工場なんじゃないだろうか。
あらたにいただいたCSM工場のMatrix情報で、A面のマト3では、7E 1028が修正消しされた後に7E 1084が追記されていることが判明した。
7E 1028が最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だったりすると、いろいろ推測できるのだが、調べてみると1975年にElektraからリリースされたDavid Gatesの"Never Let Her Go"のレコード番号なので、それが最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だという可能性はないと思う。
"Hotel California"のカッティングと同時期に"Never Let Her Go"のリカッティングでも依頼されていて、間違えて刻んでしまったのだろうか?
でも、"Never Let Her Go"のオリジナルのカッティングはTMLで、STERLINGでリカッティングされた形跡も(少なくともDiscogsを見る限り)ないんだよねぇ・・・
ってことで、この修正がどういう経緯で行われたのかは、ちょっとわからない。
その3 Lee Hulkoのサイン
末尾なし盤が最初に切られたラッカーである可能性を示唆する事実がもう一つある。STERLING刻印に添えられたLee Hulkoのイニシャルだ。
Lee Hulkoがカッティングしたときは、STERLING刻印にLHのイニシャルが添えられる。
彼はBob Ludwigと違って律儀な人で、必ず両面にLHと彫る。
SP工場産A面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られている。
SP工場産B面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られていない。
CSM工場産についてあらたにいただいたMatrix情報で、A面のマト5とB面のマト10についてLHのイニシャルがないことが判明した。
ってことで、この第3の根拠はみごとに崩されてしまった。
Lee Hulkoさん、きっちりした性格かと思ってたけど、案外うっかりさんだったのね(笑)
(2018年10月21日追記)
その4 エレクトラ勢力の拡大?
ボクがSP工場オリジナル説に傾く最大の理由が、実はこれである。
1976年に入り、エレクトラ/アサイラムにおけるエレクトラ勢力が拡大し、アサイラム・リリースに対するエレクトラ側からの影響力がかなり強まったのではないかと、ボクは考えている。
とはいえ、すでにずいぶん長い記事になってしまったし、この点についての説明はまた別の機会に譲ることにしよう。
まだ仮説を根拠づける証拠が十分にそろえられていないところもあるので、もう少し研究を進めてから記事にしたほうがいい気がしてきたし。
おっと忘れるところだった。
最後に、音質のことを少し。
うちのオーディオ・システムでの、あくまで手持ち盤の比較なので、あしからず。
以下、タイトル曲”Hotel California”で聴き比べた印象である。
ガキの頃から聴き馴染んできた日本盤は、個々の楽器の音色が鮮度感を欠いているうえに音場も平板で立体感がない。
CSMのマト10も日本盤ほどひどくはないが音色的には響きの豊かさを欠く。もっとも、音場には米西海岸らしい広がりが感じられるので、悪くはない。
しかし、CSMのマト4やSPのマト末尾無しがやはり飛びぬけている。
どちらも、個々の楽器の音色については響きが豊かで十分な鮮度感がある。
とはいえ、全体的な印象はかなり違う。
SPマト末尾無しは、個々の楽器の音色が明快で引き締まり、タイトに聴かせる。
CSMマト4は、個々の楽器の音の輪郭が微妙に甘くなるが、そのぶん、ふんわりと自然に音場が広がる。
これはもう、どっちが好みかの問題だし、システムによっても違うんじゃないかと思う。
しかもCSMには、ボクは聴いたことがないが、マト3(A面しか確認してないが。B面しか確認してないものではマト2もある。)がある。
いまのところSPとCSM甲乙つけがたしというのがボクの印象だが、マト3を聴いたら、もしかしたらCSMに軍配をあげるかもしれない。
あっ、そうだ。
SACDも悪くないよ(笑)
REO Speedwagon, Hi InfidelityのUSオリジナル [アナログ・コレクターの覚書]
久しぶりに(4カ月ぶり?)Cal De Rさんがブログを更新して、REOスピードワゴン(REO Speedwagon)"Hi Infidelity"(日本盤タイトルは『禁じられた夜』だった。)のUSオリジナル(Epic FE 36844)を取り上げていた(https://ameblo.jp/caldermusic/entry-12819308279.html)ので、ボクもレコード棚から引っ張り出してきて聴いている。
"Hi Infidelity"は、彼らの初めての全米ナンバーワン・ヒットとなったシングル"Keep on Loving You"を収録した1980年11月21日リリースの9作目のスタジオ・アルバムである。
アメリカ・レコード協会(RIAA)のWEBサイトによると、1986年11月には700万枚まで売り上げを伸ばし、2017年8月には1000万枚に達したという、まさにバカ売れしたアルバムだ。
バカ売れしただけに、ちょっと興味深いネタを提供してくれるレコードなので、Cal De Rさんの記事に触発されて、ボクも記事を書いてみることにしたのである。
マト1D/1Aで初期プレスかと思いきや、サンタマリア工場(1981年12月4日に閉鎖)で使用されていたスタンパーを引き取ったキャロルトン工場(1981年9月28日から稼働)でプレスされたレイト盤だったというCal De Rさんの盤もおもしろいが、うちの盤は更に興味深い。
うちの盤は、マト1D/1Dのサンタマリア工場プレスで、マトだけを見るとCal De Rさんの盤より(A面は同じだがB面は)進んでいるのだが、比較的初期のプレスだと思う。
比較的初期のプレスであることは、このステッカーが貼ってあることからわかる。
"Hi Infidelity"からは、先行シングルとして1981年11月4日に"Keep On Loving You"がリリースされた後、3月に"Take It on the Run"、5月に"Don't Let Him Go"、7月に"In Your Letter"と相次いでシングルカットされている。
ステッカー上にこれらの曲名は全て載ってはいるが、The Hit Singleとして取り上げられているのは"Keep On Loving You"のみで、他の曲はAlso Includesとしてにすぎない。
つまり、このステッカーは、まだ"Keep On Loving You"しかシングルカットされていなかった頃のものということだろう。
もっとも、"Keep On Loving You"は先行シングルといっても、2週間ぐらいしか先行していないから、初回プレスには、このステッカーは貼ってなかったかもしれない。
それより、興味深いのは、このレコードのマスタリングとカッティングである。
インナースリーブに明記されている通り、このレコードのマスタリングは、ケント・ダンカン(Kent Duncan)によって行われている。
もっとも、カッティングもケント・ダンカンによって行われたのはわからない。
KENDUNでのカッティングであることは、KENDUN刻印でわかる(使用スタジオによって、KENDUN-A、KENDUN-B、KENDUN-C、KENDAN-Dの四種類がある。)が、誰のカッティングであるかは、サインがないとわからない。
うちの盤は、A面については、KENDUN-C刻印なので、KENDUNでのカッティングであることはわかるが、誰のカッティングかは不明である。
B面については、末尾にABCDがないKENDUNのみの刻印だ。
この頃のKENDUNカッティングなら、使用スタジオによって、末尾にABCDがつくはずなのに不可解である。
その謎は、隣の刻印を見ると解ける。
何かが搔き消された隣にGFというサインがある。
このGFというサインは、当時ARTISANにいたグレッグ・フルギニティ(Greg Fulginiti)のものだ。
ってことは、掻き消されているのは、ARTISANマークか?
この拡大写真で、掻き消されたのがARTISANマークであることが、何となくわかるだろうか?
ARTISANマークというのはこのマークで、これは、やはりグレッグ・フルギニティがカッティングした1985年5月21日リリースのジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)"The Confessor"のものだ。
つまり、B面のカッティングは、KENDUNからARTISANに外注されて、グレッグ・フルギニティが行ったのである。
KENDUNからARTISANへの委託なんて、初めて見たよ(笑)
こんなこともあったんだねぇ。
実に興味深いのである。
ところで、グレッグ・フルギニティといえば、つい先日、エイジア(Aisia)の"Astra"を取り上げた記事でも名前を出したエンジニアである。
"Astra"がリリースされた1985年11月には、彼はすでにMASTERDISKに移っていた。
彼がいつARTISANからMASTERDISKに移ったのかは、Discogsにも書かれていないのだが、1985年5月リリースの"The Confessor"がARTISANでカッティングされていることからすると、1985年5月から11月の間に移ったということになる。
Discogsにも書かれていない情報なので、メモしておくのである(笑)
"Hi Infidelity"は、彼らの初めての全米ナンバーワン・ヒットとなったシングル"Keep on Loving You"を収録した1980年11月21日リリースの9作目のスタジオ・アルバムである。
アメリカ・レコード協会(RIAA)のWEBサイトによると、1986年11月には700万枚まで売り上げを伸ばし、2017年8月には1000万枚に達したという、まさにバカ売れしたアルバムだ。
バカ売れしただけに、ちょっと興味深いネタを提供してくれるレコードなので、Cal De Rさんの記事に触発されて、ボクも記事を書いてみることにしたのである。
マト1D/1Aで初期プレスかと思いきや、サンタマリア工場(1981年12月4日に閉鎖)で使用されていたスタンパーを引き取ったキャロルトン工場(1981年9月28日から稼働)でプレスされたレイト盤だったというCal De Rさんの盤もおもしろいが、うちの盤は更に興味深い。
うちの盤は、マト1D/1Dのサンタマリア工場プレスで、マトだけを見るとCal De Rさんの盤より(A面は同じだがB面は)進んでいるのだが、比較的初期のプレスだと思う。
比較的初期のプレスであることは、このステッカーが貼ってあることからわかる。
"Hi Infidelity"からは、先行シングルとして1981年11月4日に"Keep On Loving You"がリリースされた後、3月に"Take It on the Run"、5月に"Don't Let Him Go"、7月に"In Your Letter"と相次いでシングルカットされている。
ステッカー上にこれらの曲名は全て載ってはいるが、The Hit Singleとして取り上げられているのは"Keep On Loving You"のみで、他の曲はAlso Includesとしてにすぎない。
つまり、このステッカーは、まだ"Keep On Loving You"しかシングルカットされていなかった頃のものということだろう。
もっとも、"Keep On Loving You"は先行シングルといっても、2週間ぐらいしか先行していないから、初回プレスには、このステッカーは貼ってなかったかもしれない。
それより、興味深いのは、このレコードのマスタリングとカッティングである。
インナースリーブに明記されている通り、このレコードのマスタリングは、ケント・ダンカン(Kent Duncan)によって行われている。
もっとも、カッティングもケント・ダンカンによって行われたのはわからない。
KENDUNでのカッティングであることは、KENDUN刻印でわかる(使用スタジオによって、KENDUN-A、KENDUN-B、KENDUN-C、KENDAN-Dの四種類がある。)が、誰のカッティングであるかは、サインがないとわからない。
うちの盤は、A面については、KENDUN-C刻印なので、KENDUNでのカッティングであることはわかるが、誰のカッティングかは不明である。
B面については、末尾にABCDがないKENDUNのみの刻印だ。
この頃のKENDUNカッティングなら、使用スタジオによって、末尾にABCDがつくはずなのに不可解である。
その謎は、隣の刻印を見ると解ける。
何かが搔き消された隣にGFというサインがある。
このGFというサインは、当時ARTISANにいたグレッグ・フルギニティ(Greg Fulginiti)のものだ。
ってことは、掻き消されているのは、ARTISANマークか?
この拡大写真で、掻き消されたのがARTISANマークであることが、何となくわかるだろうか?
ARTISANマークというのはこのマークで、これは、やはりグレッグ・フルギニティがカッティングした1985年5月21日リリースのジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)"The Confessor"のものだ。
つまり、B面のカッティングは、KENDUNからARTISANに外注されて、グレッグ・フルギニティが行ったのである。
KENDUNからARTISANへの委託なんて、初めて見たよ(笑)
こんなこともあったんだねぇ。
実に興味深いのである。
ところで、グレッグ・フルギニティといえば、つい先日、エイジア(Aisia)の"Astra"を取り上げた記事でも名前を出したエンジニアである。
"Astra"がリリースされた1985年11月には、彼はすでにMASTERDISKに移っていた。
彼がいつARTISANからMASTERDISKに移ったのかは、Discogsにも書かれていないのだが、1985年5月リリースの"The Confessor"がARTISANでカッティングされていることからすると、1985年5月から11月の間に移ったということになる。
Discogsにも書かれていない情報なので、メモしておくのである(笑)
The Band, Northern Lights – Southern CrossのUSオリジナル [アナログ・コレクターの覚書]
今日は祝日だし、昨日の記事でちょっと触れた、ザ・バンド(The Band)”Northern Lights – Southern Cross"(Capitol Records ST-11440)のUSオリジナル・ファースト・プレスに関する興味深い話について、メモ代わりに書いておこう。
このレコードのリリースは1975年11月だから、ファースト・プレスのレーベルは、オレンジである。
しかし、USキャピトルのオレンジ・レーベルには前期レーベルと後期レーベルがある。
このレコードのリリースは、ちょうどその境目あたりだ。
つまり、このレコードには前期オレンジ・レーベルの盤が存在するのだが、もし1975年11月が後期オレンジ・レーベルへの移行前なら、ファースト・プレスは前期オレンジ・レーベルということになる。
もし後期オレンジ・レーベルへの移行後なら、前期オレンジ・レーベルは残余レーベル使用にすぎず、ファースト・プレスは後期オレンジ・レーベルということになる。
いずれであるかを探求する前に、まず、前期オレンジ・レーベルと後期オレンジ・レーベルの違いを明らかにしておこう。
レッド・ターゲット・レーベルにかわって1972年頃から使用されるようになる前期オレンジ・レーベルは、次のようなものである。
これは、1974年11月にリリースされたリンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)"Heart Like a Wheel" (Capitol Records ST-11358)のものだが、注目しなければならないのは上部のリムの記述だ。
見にくいので拡大しよう。
"MFD. BY CAPITOL RECORDS INC., A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES, INC., U.S.A. CAPITOL MARCA REG."と表記されている。
リムが短いのでショート・リムと呼ぶことにしよう。
一方、1975年の途中から使用されることになる後期オレンジ・レーベルは次ようなものだ。
これは、1977年3月にリリースされたザ・バンド"ISLANDS"(Capitol Records ST-11358)のものだが、注目すべきは、やはり上部のリムだ。
見にくいので拡大しよう。
まず、"MFD. BY CAPITOL RECORDS INC., A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC., U.S.A. CAPITOL MARCA REG."との表記がある。
この部分で前期オレンジ・レーベルの表記との違いは、"INDUSTRIES”の後に"-EMI"が追加されていることと、"MARCA REG"の前の"CAPITOL"がロゴになっていないことだ。
そして、何より重要なのは、この表記に続いて、"ALL RIGHTS RESERVED. UNAUTHORIZED DUPLICATION IS A VIOLATION OF APPLICABLE LAWS."という表記が追加されていることである。
こちらは、リムが長くなっているので、ロング・リムと呼ぶことにしよう。
では、ショート・リムの前期オレンジ・レーベルから、ロング・リムの後期オレンジ・レーベルにかわったのは、いつなんだろう?
"Cahoots"のUSオリジナル(Capitol Records SMAS 651)について書いたときにも参照した下記サイトでは、1975年9月となっている。
https://www.friktech.com/btls/capitol/capitollabels.pdf
9月だとすると、11月リリースの”Northern Lights – Southern Cross"は、もう後期オレンジ・レーベルにかわった後ということになる。
しかし、9月だという根拠がまったく示されていないので、鵜呑みにはできない。
そこで、”Northern Lights – Southern Cross"(ST-11440)の前後のリリースをDiscogsでチェックしてみると、ST-11439のHUBやST-11437のMonda Harris²は、登録VERSIONの少なさから言って、おそらく初盤のみで追加プレスがなかったようなレコードだと思われるが、いずれもショート・リムの前期オレンジ・レーベルである。
一方、ST-11443のGene Watsonは、ロング・リムの後期オレンジ・レーベルだ。
カタログ番号順にリリースされるとは限らないが、仮にカタログ番号順にリリースされたとすると、まさに”Northern Lights – Southern Cross"が境目だったんじゃないかという気がしてくる。
”Northern Lights – Southern Cross"のファースト・プレスは、果たして、前期オレンジ・レーベルなのか、それとも、後期オレンジ・レーベルなのか?
こういうときには、ジャケット表記との整合性というのも、参考になることがある。
ってことで、ジャケット裏の表記を確認してみると・・・
"A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC."という"INDUSTRIES”の後に"-EMI"が追加された表記だ。
ってことは、後期オレンジ・レーベルに変わった後なのか?
しかし、リンダ・ロンシュタットの"Heart Like a Wheel" のジャケット裏の表記を確認してみると、すでに、"A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC."という"INDUSTRIES”の後に"-EMI"が追加された表記なのである。
どうやら、この"A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC."という表記は、レーベルの変更にかなり先行して採用されていたようだ。
ジャケット表記との整合性は、決め手にはなりそうもない。
しかし、やはり、この”Northern Lights – Southern Cross"から後期オレンジ・レーベルに変更されたのだと思う。
ただし、少なくとも、ウインチェスター工場とジャクソンヴィル工場では、新レーベルが間に合わず、前期オレンジ・レーベルが使用された可能性がある(ロサンジェルス工場プレスの前期オレンジ・レーベル盤はDiscogsには登録されていない)。
なぜなら、このレコードの前期オレンジ・レーベルには、次のような特徴があるからだ。
(うちのはジャクソンヴィル工場プレスだが、Discogsで確認できるウインチェスター工場プレスでも同じである。)
ショート・リムであることもわかりにくいので、拡大してみよう。
前期オレンジ・レーベルであることは確認できたかと思うが、もう一つ、大きな特徴がある。
上部に、後期オレンジ・レーベルではリムに追加するはずの"ALL RIGHTS RESERVED. UNAUTHORIZED DUPLICATION IS A VIOLATION OF APPLICABLE LAWS."という表記が印刷されているのである。
これは、いったい、どういうことなんだろう?
新レーベル(後期オレンジ・レーベル)がすでに手許にあるのに、わざわざこんな追記までして残余レーベルを使用するというのも考えにくいと思う。
おそらく、新レーベルの納品が間に合わなかったのではないか。
それで、やむを得ず、こんな追記をして旧レーベル(前期オレンジ・レーベル)を使用したんじゃないだろうか。
なお、残余レーベル使用については、ボクは独自の仮説を持っていて、下記記事に詳しく書いてある。
https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2018-12-17
端的に結論だけを言えば、残余レーベルは、本来、旧譜の追加プレスに使用されたものだと、ボクは考えている。
それを間違えて新譜に使ってしまうミスも多かったかもしれないが、そうしたミスが起きる可能性は、初回プレスのときよりも何度目かの追加プレスのときの方が高く、したがって、初回プレスに残余レーベルが使用される可能性は低かったんじゃないかと思うのである。
しかし、"Northern Lights – Southern Cross"の残余レーベル使用は、この原則に合致しない。
というか、残余レーベルをそのまま使用するのではなく、「新レーベルで追加される表記を印刷して使用する」という特殊な使い方だから、当然、原則とは違う使い方だったのだろう。
いずれにせよ、この”Northern Lights – Southern Cross"のファースト・プレスについては、本来なら、後期オレンジ・レーベルが使用されるはずだったが(ロサンジェルス工場では、実際、使用されたかもしれない)、納品が間に合わず、前期オレンジ・レーベルに"ALL RIGHTS RESERVED. UNAUTHORIZED DUPLICATION IS A VIOLATION OF APPLICABLE LAWS."という表記を印刷したものが使用された、ということなんじゃないかと思うのだ。
なお、うちのには厚紙のインナースリーブ(Cardboad Inner Sleeve)が付属していたが、この頃のキャピトルはレイトになると薄紙のインナースリーブに変更されることがあるから、このレコードも、レイトには薄紙インナースリーブのものが存在するかもしれない。
Discogsにも登録されていないので、何か情報をお持ちの方は、ぜひ教えてくださいな。
このレコードのリリースは1975年11月だから、ファースト・プレスのレーベルは、オレンジである。
しかし、USキャピトルのオレンジ・レーベルには前期レーベルと後期レーベルがある。
このレコードのリリースは、ちょうどその境目あたりだ。
つまり、このレコードには前期オレンジ・レーベルの盤が存在するのだが、もし1975年11月が後期オレンジ・レーベルへの移行前なら、ファースト・プレスは前期オレンジ・レーベルということになる。
もし後期オレンジ・レーベルへの移行後なら、前期オレンジ・レーベルは残余レーベル使用にすぎず、ファースト・プレスは後期オレンジ・レーベルということになる。
いずれであるかを探求する前に、まず、前期オレンジ・レーベルと後期オレンジ・レーベルの違いを明らかにしておこう。
レッド・ターゲット・レーベルにかわって1972年頃から使用されるようになる前期オレンジ・レーベルは、次のようなものである。
これは、1974年11月にリリースされたリンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)"Heart Like a Wheel" (Capitol Records ST-11358)のものだが、注目しなければならないのは上部のリムの記述だ。
見にくいので拡大しよう。
"MFD. BY CAPITOL RECORDS INC., A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES, INC., U.S.A. CAPITOL MARCA REG."と表記されている。
リムが短いのでショート・リムと呼ぶことにしよう。
一方、1975年の途中から使用されることになる後期オレンジ・レーベルは次ようなものだ。
これは、1977年3月にリリースされたザ・バンド"ISLANDS"(Capitol Records ST-11358)のものだが、注目すべきは、やはり上部のリムだ。
見にくいので拡大しよう。
まず、"MFD. BY CAPITOL RECORDS INC., A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC., U.S.A. CAPITOL MARCA REG."との表記がある。
この部分で前期オレンジ・レーベルの表記との違いは、"INDUSTRIES”の後に"-EMI"が追加されていることと、"MARCA REG"の前の"CAPITOL"がロゴになっていないことだ。
そして、何より重要なのは、この表記に続いて、"ALL RIGHTS RESERVED. UNAUTHORIZED DUPLICATION IS A VIOLATION OF APPLICABLE LAWS."という表記が追加されていることである。
こちらは、リムが長くなっているので、ロング・リムと呼ぶことにしよう。
では、ショート・リムの前期オレンジ・レーベルから、ロング・リムの後期オレンジ・レーベルにかわったのは、いつなんだろう?
"Cahoots"のUSオリジナル(Capitol Records SMAS 651)について書いたときにも参照した下記サイトでは、1975年9月となっている。
https://www.friktech.com/btls/capitol/capitollabels.pdf
9月だとすると、11月リリースの”Northern Lights – Southern Cross"は、もう後期オレンジ・レーベルにかわった後ということになる。
しかし、9月だという根拠がまったく示されていないので、鵜呑みにはできない。
そこで、”Northern Lights – Southern Cross"(ST-11440)の前後のリリースをDiscogsでチェックしてみると、ST-11439のHUBやST-11437のMonda Harris²は、登録VERSIONの少なさから言って、おそらく初盤のみで追加プレスがなかったようなレコードだと思われるが、いずれもショート・リムの前期オレンジ・レーベルである。
一方、ST-11443のGene Watsonは、ロング・リムの後期オレンジ・レーベルだ。
カタログ番号順にリリースされるとは限らないが、仮にカタログ番号順にリリースされたとすると、まさに”Northern Lights – Southern Cross"が境目だったんじゃないかという気がしてくる。
”Northern Lights – Southern Cross"のファースト・プレスは、果たして、前期オレンジ・レーベルなのか、それとも、後期オレンジ・レーベルなのか?
こういうときには、ジャケット表記との整合性というのも、参考になることがある。
ってことで、ジャケット裏の表記を確認してみると・・・
"A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC."という"INDUSTRIES”の後に"-EMI"が追加された表記だ。
ってことは、後期オレンジ・レーベルに変わった後なのか?
しかし、リンダ・ロンシュタットの"Heart Like a Wheel" のジャケット裏の表記を確認してみると、すでに、"A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC."という"INDUSTRIES”の後に"-EMI"が追加された表記なのである。
どうやら、この"A SUBSIDIARY OF CAPITOL INDUSTRIES-EMI, INC."という表記は、レーベルの変更にかなり先行して採用されていたようだ。
ジャケット表記との整合性は、決め手にはなりそうもない。
しかし、やはり、この”Northern Lights – Southern Cross"から後期オレンジ・レーベルに変更されたのだと思う。
ただし、少なくとも、ウインチェスター工場とジャクソンヴィル工場では、新レーベルが間に合わず、前期オレンジ・レーベルが使用された可能性がある(ロサンジェルス工場プレスの前期オレンジ・レーベル盤はDiscogsには登録されていない)。
なぜなら、このレコードの前期オレンジ・レーベルには、次のような特徴があるからだ。
(うちのはジャクソンヴィル工場プレスだが、Discogsで確認できるウインチェスター工場プレスでも同じである。)
ショート・リムであることもわかりにくいので、拡大してみよう。
前期オレンジ・レーベルであることは確認できたかと思うが、もう一つ、大きな特徴がある。
上部に、後期オレンジ・レーベルではリムに追加するはずの"ALL RIGHTS RESERVED. UNAUTHORIZED DUPLICATION IS A VIOLATION OF APPLICABLE LAWS."という表記が印刷されているのである。
これは、いったい、どういうことなんだろう?
新レーベル(後期オレンジ・レーベル)がすでに手許にあるのに、わざわざこんな追記までして残余レーベルを使用するというのも考えにくいと思う。
おそらく、新レーベルの納品が間に合わなかったのではないか。
それで、やむを得ず、こんな追記をして旧レーベル(前期オレンジ・レーベル)を使用したんじゃないだろうか。
なお、残余レーベル使用については、ボクは独自の仮説を持っていて、下記記事に詳しく書いてある。
https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2018-12-17
端的に結論だけを言えば、残余レーベルは、本来、旧譜の追加プレスに使用されたものだと、ボクは考えている。
それを間違えて新譜に使ってしまうミスも多かったかもしれないが、そうしたミスが起きる可能性は、初回プレスのときよりも何度目かの追加プレスのときの方が高く、したがって、初回プレスに残余レーベルが使用される可能性は低かったんじゃないかと思うのである。
しかし、"Northern Lights – Southern Cross"の残余レーベル使用は、この原則に合致しない。
というか、残余レーベルをそのまま使用するのではなく、「新レーベルで追加される表記を印刷して使用する」という特殊な使い方だから、当然、原則とは違う使い方だったのだろう。
いずれにせよ、この”Northern Lights – Southern Cross"のファースト・プレスについては、本来なら、後期オレンジ・レーベルが使用されるはずだったが(ロサンジェルス工場では、実際、使用されたかもしれない)、納品が間に合わず、前期オレンジ・レーベルに"ALL RIGHTS RESERVED. UNAUTHORIZED DUPLICATION IS A VIOLATION OF APPLICABLE LAWS."という表記を印刷したものが使用された、ということなんじゃないかと思うのだ。
なお、うちのには厚紙のインナースリーブ(Cardboad Inner Sleeve)が付属していたが、この頃のキャピトルはレイトになると薄紙のインナースリーブに変更されることがあるから、このレコードも、レイトには薄紙インナースリーブのものが存在するかもしれない。
Discogsにも登録されていないので、何か情報をお持ちの方は、ぜひ教えてくださいな。
タグ:The Band
Randy Meisner, Randy MeisnerのUSオリジナル [アナログ・コレクターの覚書]
<ツイッター、じゃなくてXか(笑)、でいただいたコメントから、気づいたことがあったので、追記しました。>(2023年8月5日13:30)
先週の訃報記事の際にも書いたが、ランディ・マイズナー(Randy Meisner)のファーストのUSオリジナルについては、ちょっと興味深い話がある。
まぁ、たまたま手に入れた2枚の比較で気づいたことなので、さらに検証が必要な気もするが、このレコードに固有の話ではなく、マスタリング・スタジオのKENDUN RECORDERSに関わる話なので、同時期のKENDUNマスタリングの他のレコードを見つけたときにでも、また検討してみることにしたい。
うちにある2枚だが、1枚は東海岸のスペシャルティ・レコーズ(Specialty Records Corporation)プレス(SPプレス盤と呼ぶ。)で、マトは6E-140-ASP/6E-140BSP、もう1枚は西海岸にあるPRCレコーディング(PRC Recording Company)のコンプトン工場プレス(PRC-Wプレス盤と呼ぶ。)で、マトは6E-140A-3PRC/6E-140-B6-PRC-1-1である。
で、何が興味深いかというと、SPプレス盤もPRC-W盤もKENDUN-A刻印なのだが、どうもカッティング・エンジニアが違うようなのだ。
KENDUN-A刻印とエンジニアのものと思われるサインが並んでいるPRC-Wプレス盤の方から見てみよう。
このサイン、Fのように見えるが、Discogsによると、JとHを合成したもので、ジョー・ハンシュ(Jo Hansch)のサインのようだ。
一方、SPプレス盤のほうもKENDUN-A刻印なのだが・・・
ちょっと離れたところにあるサインは、このようなもので、明らかにジョー・ハンシュのものではない。
MCかMMCに見えるので、マルコム・セシル(Malcolm Cecil)のサインだろうか。
エンジニアが異なることは、マトの筆跡からもわかる。
PRC-Wプレス盤のマトの筆跡はこのようなものだ。
それに対して、SPプレス盤のマトの筆跡はこのようなものだ。
どう見ても別人の筆跡である。
ちなみに、B面の方にはエンジニアのサインは見当たらないのだが、PRC-Wプレス盤のほうはKENDUN-D刻印で、マトの筆跡もA面とは違う感じがする。
マルコム・セシルの筆跡でもないので、第三のエンジニアが存在するということか?
SPプレス盤のほうのB面はKENDUN-B刻印だが、マトの筆跡はA面と同じなので、やはりマルコム・セシル?のカッティングだと思われる。
この時期のKENDUN刻印にはAからDまで存在するが、どうやらマスタリング・ルームの違い(Dスタジオは、場所も違うところにあったようだ。)を表すようなので、同じKENDUN-A刻印でもカッティング・エンジニアが違うということも当然ありうるわけだ。
で、音の違いという点では、おそらくマスタリング・ルームの違いよりも、カッティング・エンジニアの違いの方が、影響が大きいだろう。
実際、このランディ・マイズナーのファーストも、SPプレス盤とPRC-Wプレス盤では、工場違いのレベルを超えた音の違いが感じられる。
どちらが良いかは好みの問題だが、ボクはシャキっとしているSPプレス盤の音の方が好きなので、もっぱらSPプレス盤ばっかり聴いている。
KENDUN RECORDERSは西海岸のマスタリング・スタジオなので西海岸プレスの方がいいのかなーと思って、PRC-Wのほうが後から手に入れたんだけどね。
まぁ、よくある話である(笑)
<追記>
ツイッター、じゃなくてXか、でいただいたコメントで気づいたのだが、もしかしたら、うちのPRC-Wプレス盤は初回盤ではないかもしれない。
Discogsを見ると、PRC-Wプレス盤のマトはA-2/B-2となっている。
このマトの盤のみがPRC-Wプレスの初回盤だったという可能性もないわけではない。
そうだとすると、ジョー・ハンシュ・カッティングは、レイトのリカッティングということになる。
そこで、急に興味が湧いてきたのは、A-2/B-2が誰のカッティングかということだ。
刻印がKENDUN-C/KENDUN-BであることはDiscogsからもわかるが、エンジニアのサインらしきものが存在するのかどうか不明である。
ただ、KENDUN刻印の隣にPRCと登録されているので、もしかしたら、こうなっているんだろうか?
これは、うちのPRC-Wプレス盤のB面のKENDUN刻印である。
この面については第三のエンジニアによるカッティングかと推測したのだが、さて、マトA-2/B-2のPRC-Wプレス盤は、実際はどうなっているんだろう?
エンジニアのサインらしきものは存在しないんだろうか?
持っているという方、ぜひ教えてくださいな。
先週の訃報記事の際にも書いたが、ランディ・マイズナー(Randy Meisner)のファーストのUSオリジナルについては、ちょっと興味深い話がある。
まぁ、たまたま手に入れた2枚の比較で気づいたことなので、さらに検証が必要な気もするが、このレコードに固有の話ではなく、マスタリング・スタジオのKENDUN RECORDERSに関わる話なので、同時期のKENDUNマスタリングの他のレコードを見つけたときにでも、また検討してみることにしたい。
うちにある2枚だが、1枚は東海岸のスペシャルティ・レコーズ(Specialty Records Corporation)プレス(SPプレス盤と呼ぶ。)で、マトは6E-140-ASP/6E-140BSP、もう1枚は西海岸にあるPRCレコーディング(PRC Recording Company)のコンプトン工場プレス(PRC-Wプレス盤と呼ぶ。)で、マトは6E-140A-3PRC/6E-140-B6-PRC-1-1である。
で、何が興味深いかというと、SPプレス盤もPRC-W盤もKENDUN-A刻印なのだが、どうもカッティング・エンジニアが違うようなのだ。
KENDUN-A刻印とエンジニアのものと思われるサインが並んでいるPRC-Wプレス盤の方から見てみよう。
このサイン、Fのように見えるが、Discogsによると、JとHを合成したもので、ジョー・ハンシュ(Jo Hansch)のサインのようだ。
一方、SPプレス盤のほうもKENDUN-A刻印なのだが・・・
ちょっと離れたところにあるサインは、このようなもので、明らかにジョー・ハンシュのものではない。
MCかMMCに見えるので、マルコム・セシル(Malcolm Cecil)のサインだろうか。
エンジニアが異なることは、マトの筆跡からもわかる。
PRC-Wプレス盤のマトの筆跡はこのようなものだ。
それに対して、SPプレス盤のマトの筆跡はこのようなものだ。
どう見ても別人の筆跡である。
ちなみに、B面の方にはエンジニアのサインは見当たらないのだが、PRC-Wプレス盤のほうはKENDUN-D刻印で、マトの筆跡もA面とは違う感じがする。
マルコム・セシルの筆跡でもないので、第三のエンジニアが存在するということか?
SPプレス盤のほうのB面はKENDUN-B刻印だが、マトの筆跡はA面と同じなので、やはりマルコム・セシル?のカッティングだと思われる。
この時期のKENDUN刻印にはAからDまで存在するが、どうやらマスタリング・ルームの違い(Dスタジオは、場所も違うところにあったようだ。)を表すようなので、同じKENDUN-A刻印でもカッティング・エンジニアが違うということも当然ありうるわけだ。
で、音の違いという点では、おそらくマスタリング・ルームの違いよりも、カッティング・エンジニアの違いの方が、影響が大きいだろう。
実際、このランディ・マイズナーのファーストも、SPプレス盤とPRC-Wプレス盤では、工場違いのレベルを超えた音の違いが感じられる。
どちらが良いかは好みの問題だが、ボクはシャキっとしているSPプレス盤の音の方が好きなので、もっぱらSPプレス盤ばっかり聴いている。
KENDUN RECORDERSは西海岸のマスタリング・スタジオなので西海岸プレスの方がいいのかなーと思って、PRC-Wのほうが後から手に入れたんだけどね。
まぁ、よくある話である(笑)
<追記>
ツイッター、じゃなくてXか、でいただいたコメントで気づいたのだが、もしかしたら、うちのPRC-Wプレス盤は初回盤ではないかもしれない。
Discogsを見ると、PRC-Wプレス盤のマトはA-2/B-2となっている。
このマトの盤のみがPRC-Wプレスの初回盤だったという可能性もないわけではない。
そうだとすると、ジョー・ハンシュ・カッティングは、レイトのリカッティングということになる。
そこで、急に興味が湧いてきたのは、A-2/B-2が誰のカッティングかということだ。
刻印がKENDUN-C/KENDUN-BであることはDiscogsからもわかるが、エンジニアのサインらしきものが存在するのかどうか不明である。
ただ、KENDUN刻印の隣にPRCと登録されているので、もしかしたら、こうなっているんだろうか?
これは、うちのPRC-Wプレス盤のB面のKENDUN刻印である。
この面については第三のエンジニアによるカッティングかと推測したのだが、さて、マトA-2/B-2のPRC-Wプレス盤は、実際はどうなっているんだろう?
エンジニアのサインらしきものは存在しないんだろうか?
持っているという方、ぜひ教えてくださいな。
マトより大切なもの~The Who, My GenerationのUKオリジナル [アナログ・コレクターの覚書]
チャンレジャー大会とはいえ復帰戦でいきなり優勝という錦織選手に関する嬉しいニュース(もちろん、WOWOWのオンデマンドで全試合観戦した。)から10日ほど経ったが、今週からウインブルドンの予選が始まっている。
錦織選手は出場しないが、先日世界ランキング24位とキャリアハイを更新した西岡選手は当然ストレートインで、ダニエル選手は予選から本選出場を目指す。
で、一昨日、予選一回戦を突破。
予選なんて観戦できないと思っていたら、ウインブルドンのオフィシャルYouTubeチャンネルでフルで観られた(アーカイブがあるので今でも観られる)のはラッキーだった。
でも、今日のダニエル選手の予選二回戦はスタジアム・コートじゃないから、観られないんだろうな・・・
自分がテニスをする時間も増えているので、ホント、最近は、自由になる時間のほとんどをテニス関連で使っている気がする。
昔から好きだったけど、こんなにテニスが好きになるとは(笑)
さて、テニスの話題はこのぐらいにして、レコードの話をしよう。
昨日6月27日は、ザ・フー(The Who)のベーシストだったジョン・エントウィッスル(John Entwistle)の命日だったので、このレコードを引っ張り出して聴いていた。
1965年にリリースされたザ・フーのファースト・アルバム"My Generation"のUKオリジナル(Brunswick LAT 8616)である。
20数年前、オリジナル盤を集め始めた頃に入手したもので、確か当時は、初回マトについての情報はなかった(少なくともボクは知らなかった)。
うちのは1B/2Bなのだが、これが初回マトでいいのかなーと思っていたら、わりとすぐに、1B/1Bが存在するという情報が入ってきた。
うちの盤については、そこでセカンド・プレス判定をしたまま、現在に至る。
たまに1B/1Bの盤を買おうかなーと思うこともあるのだが、状態と価格のバランスで、購入に踏み切れるようなものにはなかなか出会わない。
で、昨日、なんとなくDiscogsを見ていたら、マトは1B/2Bでもいいんじゃないかって気がしてきた。
ストーンズ(The Rolling Stones)もそうだけど、DECCAはEMIと違って、ラッカーをバンバン切る。
"My Generation"だって、最初から、2枚のラッカーを切ってた可能性もあるんじゃないか。
うちの1B/2B盤のSide 1(マト1Bの方)のマザー/スタンパーは、2B/Iである(2BのBは逆さ打ちで、Dや0に見えるので、Discogsにある2Bや2Dや20の登録は全部同じものだと思う)。
Discogsには、Side 1のマザー/スタンパーがこれよりも進んでいる1B/1Bの盤も登録されているんである。
(ちなみに、Side 2のマト2Bの方のマザー/スタンパーは1/Cだ。)
それに、どうやら、Brunswickレーベルに3つのバリエーションがあって、ファースト・レーベル、セカンド・レーベル、サード・レーベルに区別できるらしいのだが、うちのは、その区別では、ファースト・レーベルなんである。
まず、上部リムが"ORIGINAL RECORDING AND LICENSED BY DECCA RECORDS INC. NEW YORK U.S.A."である。
これは、セカンド・レーベルでも同じだが、サード・レーベルだと "Original recording and licensed by DECCA RECORDS a division of MCA Inc. New York U.S.A."にかわる。
それから、右側中央のレコード番号"LAT. 8616"の上に"M/T"というタックス・コードが印刷されている。
これはセカンド・レーベルではなくなり、サード・レーベルにもない。
さらに、左側中央にⓅ1965がある。
セカンド・レーベルでは、Ⓟ1965はレーベル下部に移動し、サード・レーベルも同じである。
マトに2Bが混じってても、このファースト・レーベルならファースト・プレスでいいんじゃないかなー
錦織選手は出場しないが、先日世界ランキング24位とキャリアハイを更新した西岡選手は当然ストレートインで、ダニエル選手は予選から本選出場を目指す。
で、一昨日、予選一回戦を突破。
予選なんて観戦できないと思っていたら、ウインブルドンのオフィシャルYouTubeチャンネルでフルで観られた(アーカイブがあるので今でも観られる)のはラッキーだった。
でも、今日のダニエル選手の予選二回戦はスタジアム・コートじゃないから、観られないんだろうな・・・
自分がテニスをする時間も増えているので、ホント、最近は、自由になる時間のほとんどをテニス関連で使っている気がする。
昔から好きだったけど、こんなにテニスが好きになるとは(笑)
さて、テニスの話題はこのぐらいにして、レコードの話をしよう。
昨日6月27日は、ザ・フー(The Who)のベーシストだったジョン・エントウィッスル(John Entwistle)の命日だったので、このレコードを引っ張り出して聴いていた。
1965年にリリースされたザ・フーのファースト・アルバム"My Generation"のUKオリジナル(Brunswick LAT 8616)である。
20数年前、オリジナル盤を集め始めた頃に入手したもので、確か当時は、初回マトについての情報はなかった(少なくともボクは知らなかった)。
うちのは1B/2Bなのだが、これが初回マトでいいのかなーと思っていたら、わりとすぐに、1B/1Bが存在するという情報が入ってきた。
うちの盤については、そこでセカンド・プレス判定をしたまま、現在に至る。
たまに1B/1Bの盤を買おうかなーと思うこともあるのだが、状態と価格のバランスで、購入に踏み切れるようなものにはなかなか出会わない。
で、昨日、なんとなくDiscogsを見ていたら、マトは1B/2Bでもいいんじゃないかって気がしてきた。
ストーンズ(The Rolling Stones)もそうだけど、DECCAはEMIと違って、ラッカーをバンバン切る。
"My Generation"だって、最初から、2枚のラッカーを切ってた可能性もあるんじゃないか。
うちの1B/2B盤のSide 1(マト1Bの方)のマザー/スタンパーは、2B/Iである(2BのBは逆さ打ちで、Dや0に見えるので、Discogsにある2Bや2Dや20の登録は全部同じものだと思う)。
Discogsには、Side 1のマザー/スタンパーがこれよりも進んでいる1B/1Bの盤も登録されているんである。
(ちなみに、Side 2のマト2Bの方のマザー/スタンパーは1/Cだ。)
それに、どうやら、Brunswickレーベルに3つのバリエーションがあって、ファースト・レーベル、セカンド・レーベル、サード・レーベルに区別できるらしいのだが、うちのは、その区別では、ファースト・レーベルなんである。
まず、上部リムが"ORIGINAL RECORDING AND LICENSED BY DECCA RECORDS INC. NEW YORK U.S.A."である。
これは、セカンド・レーベルでも同じだが、サード・レーベルだと "Original recording and licensed by DECCA RECORDS a division of MCA Inc. New York U.S.A."にかわる。
それから、右側中央のレコード番号"LAT. 8616"の上に"M/T"というタックス・コードが印刷されている。
これはセカンド・レーベルではなくなり、サード・レーベルにもない。
さらに、左側中央にⓅ1965がある。
セカンド・レーベルでは、Ⓟ1965はレーベル下部に移動し、サード・レーベルも同じである。
マトに2Bが混じってても、このファースト・レーベルならファースト・プレスでいいんじゃないかなー
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