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アラン・ドロンは知ってたけれど [思い出]

ウインブルドンの青山・柴原組は、シェイ・メルテンス組にフルセットの末に惜敗。
勝ってれば、今夜、彼女たちの決勝戦が観られたかと思うと非常に残念なのだが、仕方がない。
でも、彼女たちなら、近い将来、グランドスラムのタイトルもとれる気がするなぁ。

さて、梅雨明けしたのかどうか定かではないが、夏空が広がった土曜日、冷房を効かせたリビングで、いつものように、ずっとレコードを聴いている。

のんびりと過ごす午後、ふっと思い出して、最近手に入れたこのレコードをかけてみる。


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1977年10月1日にリリースされた榊原郁恵さんの4枚目のシングル『アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた』(日本コロムビア PK-78)である。
これ、「アル・パシーノたすアラン・ドロンよりあなた」と読む。
当時、アラン・ドロンは知っていたが、アル・パシーノはこの歌で初めて知った(笑)

もっとも、ボクは、榊原郁恵さんのファンというわけではない。
このレコードだけが特別なのである。

しばらく前、なんとなく遠い記憶と戯れているとき(歳をとると、そういうことが増えるのですよ 笑)、ふっと一つの顔が蘇った。
それは、中学生のときに一時期好きだったことがある子だったのだが、彼女の顔が蘇るのと同時にBGMのように脳内再生されたのが、この『アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた』だったのである。

そのときは何故この曲が彼女の顔と結びついているのかは思い出せなかったのだが、レコードを聴いてたら思い出すかなーと思って手に入れてみたのだった。

で、今日、聴いていたら、思い出した。

彼女は、ボクの友達と一時期つきあっていたのだ。
その友達というのが学年で一番のイケメンで、まぁ悪いやつではなかったのだが、ちょっとカッコつけるようなところがある気障なやつだったんだな。

ちょうど『アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた』が流行りだした頃で、彼女は自分の気持をこの歌に重ね合わせていた。
ボクは彼女とも仲が良かったので、彼女自身から直接それを聞いたのだ。

あのとき、彼女は当然、ボクの気持ちには気づいてなかったんだろうなー
けっこう切なかったことを思い出しちゃったよ(笑)

さて、お約束の初盤鑑定タイムである。
今回入手したレコードのマトはA-1/B-2で、スタンパーはA28/A22だった。
これだけだとかなり微妙である。
おまけにどんなに探してもPMが発見できない。
もはや、初盤鑑定は不可能かと思いきや、PSにこんなものがくっついていた。


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10月25日発売のセカンドアルバム『ラブリー・ポップ』の予約申込書である。
ってことは、初盤だと判定していいのかな?

タグ:榊原郁恵
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チューリップ同好会 [思い出]

昨日とりあげたチューリップ『夏色のおもいで』は1973年10月5日のリリース。
当時ボクはまだ10歳で、テレビから流れる歌謡曲ぐらいしか聴いていなかったから、チューリップというバンドの存在さえまったく知らなかった。

『夏色のおもいで』を初めて聴いたのは、高校1年のときだ。
初めて聴いた『夏色のおもいで』は、チューリップではなく、チューリップ同好会の演奏だった。

高校1年のときの文化祭、クラスメイトの女の子に引っ張られて行った体育館で、(たぶんその女の子の憧れの)先輩たちがやっていたバンド、チューリップ同好会のライブを観た。
チューリップ同好会の演奏が、チューリップ愛に溢れていたからだろうか、ボクはそれからチューリップを聴くようになった。

そしたら、ボクを体育館まで引っ張っていった女の子に、当日の音源のレコードを買わされた(笑)
チューリップ同好会が、同じく文化祭でライブをやった他のバンドといっしょに、自主制作で作ったシングル盤だ。
昨日、『夏色のおもいで』を聴いていたら、そんなことを思い出して、シングル盤ボックスから掘り出してきた。


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チューリップ同好会のくせに、なんで『遠くで汽笛を聞きながら』なんだよ?(笑)
当日は、『夏色のおもいで』のほかに、『心の旅』もやってたはずだ。
本人たちとしては、『遠くで汽笛を聞きながら』が一番出来が良かったのかな?

せっかく掘り出したので聴いてみたのだが、まさにあの頃の空気がそのまま真空パックされていた・・・
しばし思い出と戯れてしまったよ(笑)

ちなみに、反対サイドには、BLUELETというバンドの『Sweet Sweet Surrender』が収録されている。
BBAの名バラードだ。


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こちらは、ボーカルがおそろしくうまい(笑)


月曜の夜から、なんだかノスタルジックで良い時間を過ごせてしまったよ。
当時、ボクにこのレコードを無理矢理買わせたあの子に、感謝しなきゃね(笑)

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ラスト・クリスマス [思い出]

毎年、クリスマス・イブの夜は、それなりにクリスマスらしく過ごしているが(ボクの場合、クリスマスらしい音楽をかけて、クリスマスらしい食事を用意するというだけだけどね 笑)、クローゼットの奥にしまい込んだ大きなツリーを引っ張り出して飾り付けるようなことは、もう何年もやっていない。

あのツリー、最後に飾り付けたのは、もう7年も前になるんだなぁ。

昨日、ガラにもなく恋の記憶と戯れていたせいか、7年前のクリスマス・ホーム・パーティーのことをいろいろ思い出してしまったよ。

で、あのパーティーの間ずっとかけていたこのCDを久々に聴いている。


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デンマークのジャズ・シンガー、マレン・モーテンセン(Malene Mortensen)が2008年にリリースしたクリスマス・アルバム"To all of you"だ。


ボクの持っている日本盤CD(T.A.C.S. records TACM-0001)は、ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)の"This Christmas"のようなクリスマス・ソングやジュリー・ロンドン(Julie London)の"Warm December"のようなウインター・ソングの定番を10曲収録した本編(カーペンターズ(Carpenters)の"We're Only Just Began"(邦題「愛のプレリュード」)もやっている)にくわえ、ボーナス・トラックとしてライブ音源が5曲収録されている("Desperado"のライブ・バージョンも聴ける)のだが、やっぱり"Last Christmas"に胸が締めつけられてしまうな。


いま知ったのだけど、デンマーク盤オリジナルでは本編が16曲で日本盤より6曲多く、フランス盤は、ライブ音源9曲入りのボーナスCD(日本盤のボーナストラックより4曲多い!)がついた2枚組スペシャル・エディションでリリースされてたみたいだ。
このフランス盤のほうを買えばよかったな(笑)



(画像をクリックするとAmazonにとびます。)

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緑の日々 [思い出]

史上最多のメダルを獲得して大いに盛り上がったリオ・オリンピックも、まもなく終わる。
錦織選手の銅メダル獲得もうれしかったが、昨日の400メートル・リレーの銀メダルには本当に感動した。

今朝の朝日新聞の一面記事は、こんな言葉で締めくくられていた。

10秒を切れていない4人が、偉業を達成した。

「個人の力量」だけでなく、バトンパスという「力を合わせる技術」が大きなウエイトを占めるリレーという競技のおもしろさを、実に的確に伝えている。


リレーといえば、オリンピックとはまったく関係がないが、とても心に残っている思い出がある。
その思い出をつづった以前のブログの記事があるので、転載しよう。
「緑の日々」と題した2007年6月4日の記事だ。
(少しだけ加筆修正しています。)


**********以下、転載**********


7年間暮らした賃貸マンションから今の一戸建てに引っ越したのは2005年の師走も末のことだから、ここでの暮らしも、もう1年半になる。

家を建てることが夢だったわけじゃない。むしろ、一生、賃貸マンション暮らしのほうが楽でいいと思っていたくらいだった。
離婚してユウと二人暮らしになったときから、ボクは何となく他人とのかかわりを避けるようになっていた。小さな地方都市とはいえ、駅周辺はそれなりに発展していて、そこに暮らす人々も流動的だったから、ボクにはマンション暮らしのほうが気楽な気がしていた。

ボクの心に大きな変化が訪れたのは、2005年春、ユウの小学校最後の運動会のときだった。

運動会最大の呼び物といえば、クラス対抗リレーなのだけれど、あいにくユウの通っていた小学校はとても小さくて、普通学級は1学年1クラスしかなかった。そこで企画されたのが、クラスを4組にわけた全員参加のリレーだった。
その「全員」の中には、重度の知的障害をともなう自閉症のため特別支援学級に所属しているユウも含まれていた。

担任の先生からユウもリレーに参加させると聞いたときは、正直なところボクはとても驚いたし、実際、ユウには無理だと思った。でも、「やれるところまでやってみて、無理なようなら参加をとりやめる」という話だったから、ボクはすべてを先生に任せることにした。

運動会当日、いよいよ最後の種目、6年生のリレーが始まった。結局、ユウも参加することになっていた。
本当にちゃんとやれるのか、ボクはかなりの不安を抱きながら見守った。

そのリレーは、ちょっと変わっていた。子供それぞれ走る距離が違うのだ。
トラックを一周する子もいれば、半周の子も1/4周の子もいる。
それぞれが走る距離は、それぞれの能力に応じて決められたらしい。

猛烈な速さで駆け抜けてゆく俊敏な子がいる。
運動が苦手そうな、ドタドタと遅い子がいる。
幼い頃に交通事故にあって、片足に少しハンディを抱えた子も一生懸命走っている。

そしてユウも、バトンを受け取り、1/4周を走り、次のランナーにバトンを渡した。
レースは抜きつ抜かれつのデッドヒートだった。

ユウがリレーに参加して、ちゃんと役目を果たした!

もともと涙もろいボクは、それだけでも目頭が熱くなってきて、涙をこらえるのに必死だった。

「このリレー、全部、子供たちが自分達だけで考えたんですよ。ホントに良い子たちばかり。」

隣で見ていたユウの担任の先生が言った。その瞳からは、いまにも涙が落ちそうだった。

もう、こらえきれなかった。涙があふれた。

気づかれないようにぬぐったつもりだったけれど、
「ホントに良い子たちばかりですね。」
そんな風に答えたボクの声も震えていたから、先生はきっと気づいていただろう。


1クラスとはいえ40人近い子供たち。その全員が、同じような優しさや思いやりを持っているのかどうか、ボクにはわからない。
ただ、ユウと同じ保育園で、その後も同じ学童保育に通っていた10人ほどの子供たちの顔が思い浮かぶ。
その10人ほどの子供たち以外にも、ユウの世話をやいてくれていた何人かの子供たちの顔が思い浮かぶ。
幼い頃から、ユウが隣にいることを当たり前のように受け入れてくれていた子供たちの顔だ。

あの運動会の日から、ボクの心は、この土地でずっと暮らしていこうという気持ちに、少しづつ固まっていった。

そして1年半ほど前、ボクたちはここに引っ越してきた。ユウの通っていた小学校にも、今通う中学校にも、徒歩で10数分のところにある。ボクの職場へも、徒歩で30分弱、車なら5分ほどのところだ。

それまでのマンションは、ここから車で15分ほどのところにあって、ユウも学区外通学をさせていたから、これで名実ともに地域の一員になれたわけだ。

ここは、とても緑豊かなところ。ボクが生まれ育った土地に似ている。

そんな自然の生命の息吹を毎日感じているからか、ガーデニングになんかまったく興味がなかったボクも、1年ほど前から、小さな庭の手入れを始めた。
芝をはったり、小さな花壇を作ったり、プランターに花を植えてみたり。リビングには、観葉植物を並べたりもしている。

ボクを一番癒してくれるのは、何よりユウの笑顔だけれど、小さな庭の緑や色とりどりの花たちも、リビングの観葉植物たちも、たまに慌しい毎日が続いて擦り切れそうになった心を、そっと優しく癒してくれる大切な同居人になっている。

**********以上、転載終わり**********



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小学生の頃のユウ@近所の海岸にて



sa-saraさんがつい先日YouTubeにアップしていたインスト曲が、記事にピッタリな気がしたので貼り付けてしまおう。



Love Songs for the Earth _ scene 4 / sa-sara


癒されるなぁ・・・

タグ:sa-sara
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ただ、切なかった [思い出]

「恋仲」を観ながら思い出していた彼女は、NIKIIEさんの「紫陽花」を聴いていてふっと思い浮かんだ彼女である。

前にも書いたけれど、もう7、8年くらい前のことになるだろうか、とある映画を観たことをきっかけに、あの頃の彼女の気持ちを推測したことがある。


映画を観ながら、ボクは、ずっとずっと昔の、もうまったく忘れていた遠い記憶を思い起こしていた。
 
正確に言うなら、記憶の断片が一つまた一つと思い浮かんできて、それがやがてひと繋がりになって、それまで考えたこともなかった「答え」を浮かび上がらせてくれた。

もちろん、その「答え」が正しいのかどうかは、ボクにはわからない。


サオリと仲良くなったのは、中学3年のときだった。
一学年130人程度しかいない田舎の小さな中学で、ほぼ全員が同じ小学校出身だったのに、ボクはそれまでサオリのことは知らなかった。
いや、顔は知っていた気はするけれど、小学校から中学2年まで一度も同じクラスになったこともなく、少なくともボクの中に、それまでサオリという女の子はまったく存在していなかった。

はじめて話をしたのは掃除の時間だった。
窓を拭いていたボクに近寄ってきたサオリは、ぐっとボクの耳元に顔を近づけて、ドキっとするようなことを質問してきた。それがどんな質問だったかは覚えていないのだが、ドキッとしたことだけは鮮明に覚えている。
もしかしたら、質問の中身ではなくって、頬がふれあいそうなくらいにぐっと耳元に顔を近づけられたことにドキっとしたのかもしれないけれど、それはもはやあやふやだ。

どういういきさつだったのかまったく記憶していないのだが、ボクとサオリは、あっという間に仲良くなった。いや、正確に言えば、ボクとサオリを含む6人ほどの男女混合の仲良しグループができていた。そのグループで、サオリの家に遊びに行ったこともあるし、グループの他のメンバーの家に集まったこともある。まあ、いつもそうやって集まっていたってわけではなくて、中学3年の1年間にそんなことは数度だったけれど。

それでも、中学3年のときのことを思い出すと、いつもサオリがそばにいたような気がする。

もっとも、ボクにはその頃他に好きな女の子がいたし、サオリのことを、特に女として意識したことは一度もなかった。
そして、サオリのほうも、ボクのことを男として意識してはいないと信じていた。

というか、同じグループの中にHというやつがいて、グループの中では、サオリはHが好きってことになってた気がする。Hとサオリは家が近所で、幼馴染で、昔からサオリはHが好きなんだって話だったような・・・・


卒業式の帰り道のことだ。
いつものグループでつるんでいたのだけれど、いつの間にか、ボクとサオリは二人でグループから離れていた。
「私が好きなのってH君だと思ってたでしょ?」
サオリが突然、そんなことを言い出した。
「違うの?」
と、ボクは聞き返した。
「違う。ホントは誰が好きだったか知りたい?」
そう言ったときのサオリの表情をボクはよく覚えていないけれど、たぶん、いつものように、クリクリっとしたまあるい目でまっすぐにボクを見ていたんじゃないかと思う。
ボクは、確か軽い調子で、「教えろ!」とか言っていた。
そのあとサオリは、ちょっと間をおいて、それから、はじめて話をしたときと同じように、頬がふれあいそうなぐらいにぐっと耳元に顔を近づけた。
サオリが口を開くまで、そこでまたちょっと間があった。

「M君だよ。」

サオリは、そう言うと他の仲間のほうに駆け出していった。

Mは学年の中でも1、2を争うイケメンで、女の子にもよくもてるやつだった。だから、サオリがMを好きでも別に不思議はないのだが、正直なところボクはすごく驚いた。いつもあんなにそばにいたのに、Mのことを好きだなんて素振りをサオリがボクに見せたことは、それまで一度だってなかったからだ。
それでもボクは、そのとき単純に、サオリはMが好きだったんだと信じた。


中学を卒業してからのサオリとの思い出は三つしかない。
サオリはお嬢様学校で有名な高校に進学したし、ボクは片道1時間近くもかかる遠くの高校に進学した。
もちろん、何度も町で偶然顔を合わせてくだらないおしゃべりはしたけれど、そんなことは日常的すぎてほとんど記憶に残っていない。


高校に進学したあと、どういういきさつだったか忘れてしまったが、サオリと他に女の子二人とボクの4人で中学に挨拶に行ったことがあった。
その帰りのこと、なぜだか他の二人を残し、ボクは自転車の荷台にサオリを乗せて家まで送っていった。
途中、鉄橋をわたるのに二人乗りじゃ怖かったから、自転車を降りて歩くことになって、しばらく二人で歩きながら話をした記憶はあるけれど、そのときどんな話をしたのかはまったく覚えていない。たぶん、それぞれの新しい高校生活がどんなかって話だったんだと思う。
中学の頃と同じようにじゃれあいながら、たわいもない話をしていたことは間違いない。
ただ、考えてみると、自転車の荷台に女の子を乗せて走ったことは、後にも先にもボクの一生であれがたった一度のことだったと思う。
まあ、大学に入って中型のバイクに乗るようになってからは、当時の彼女をタンデムシートにのっけていたけれど。


高校1年のときのサオリとの思い出がもう一つある。
お嬢様学校で有名なサオリの高校は、文化祭も招待状がないと入れないというところだった。町で偶然会ったとき、サオリは、ボクに4枚だったかの招待状をくれて、友達を誘ってきてくれと言った。
そうはいっても誰を誘えばいいかわからないので、ボクはサオリに誰を誘えばいいか尋ねてみた。そのとき、Mは誘わないといけないかと名前を出したのだけれど、サオリは、Mは誘わなくていいと言った。それで、Hと他に数名の名前を出して、その場でメンバーを決めた。

文化祭の当日は、サオリの友達とボクたち男4人で、まるで合コンみたいだった。とはいえ、その後何の発展もなかったのだけれど。
あとで町で偶然会って話をしていたときに、何故ボクを誘ったのかが話題になったことがあって、サオリの答えは、中学校の卒業アルバムを友達に見せたらボクの写真を見て会いたいって言っていた子がいたので誘った、というものだったのだが、その子があの文化祭の日にあった子のうちのどの子なのかってことは、ついに最後まで教えてもらえなかった。


サオリとの最後の思い出は、ボクの大学の合格発表の翌日のことだ。
今はどうなのかわからないけれど、当時の静岡新聞には大学合格者の名前が載ることになっていた。
その日の朝、唐突にサオリから電話がかかってきた。
「新聞みたよ。合格おめでとう。」
それからしばらく、たわいもない話をして、電話を切った。記憶に残っているのは、サオリが北陸のほうの大学の薬学部に合格して、将来は薬剤師になると言っていたことだけだ。


大学進学で東京に出てから、ボクはあんまり田舎には帰らなかった。帰省したとき、男友達と連絡をとってつるむことはあっても、サオリに連絡をとることはなかった。
だから、あれ以来、サオリには一度も会っていないし、電話で声を聴いたこともない。


記憶の断片をつなぎ合わせていく。
語られなかった想いを想像してみる。もちろん、ボクの独りよがりかもしれない。

サオリは本当にMのことが好きだったんだろうか?
卒業式のあの日、あの帰り道、サオリが言おうとしたのは違うことだったんじゃないだろうか?
卒業後中学に挨拶にいったあの日の帰り道、あの二人はあえてボクとサオリを二人にしたんじゃないだろうか?
サオリがボクを文化祭に誘った理由・・・別にイケメンでもなんでもないボクの写真を見て、会いたいって言った友達なんてホントにいたんだろうか?
中学3年のときから4年間、電話なんて一度もかけてきたことがなかったサオリが、「合格おめでとう」って電話をかけてきたのには、それなりの想いがあったんじゃないだろうか?
二人とも生まれ育った町を離れ、もしかしたらボクたちはもう二度と会うこともないかもしれない・・・だからかけてきた電話?

ボクの独りよがりの想像の産物なのかもしれない。
でも、そんな「答え」が浮かびあがってきて、甘酸っぱい痛みが胸を襲った。

切なかった。

ただ、切なかった。


<この記事は、旧ブログ「君がいる風景」から加筆修正のうえ転載しています。>
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