曇った心の窓をあけてごらん [上田知華]
昨日(4月27日)の朝刊に上田知華さんの訃報が載っていた。
昨年9月に亡くなっていたというから、もう半年以上経つんだな。
64歳って若いよねぇ・・・
世間一般には、今井美樹さんの『PIECE OF MY WISH』の作曲家として有名なのかもしれないが、ボクにとって上田知華さんと言えば『さよならレイニーステーション』である。
なにしろ、楽曲をとりあげた記事を書いて、https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-07-03
収録されているアナログ盤の記事を書いている。https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-07-04
ってことで、当然、このアルバムを聴いて偲ぶのである。

YouTubeに彼女の映像がないかと探したら、倉田まり子さんとの共演で『さよならレイニーステーション』をやっている映像があった。
(埋め込み不可になっているので、YouTubeでどうぞ。)
https://youtu.be/3H0uzBobxSs
これは貴重な映像だよね。
『上田知華+KARYOBIN[3]』(WARNER-PIONEER L-12003E)をもう一度聴いていたら、『パープル・モンスーン』のサビのフレーズが妙に心に響いた。
♪ 曇った心の窓をあけてごらん
♪ 昨日よりステキになれるわ
この歌に励まされた女の子、たくさんいるんだろうなぁ。
心よりご冥福をお祈りいたします。
昨年9月に亡くなっていたというから、もう半年以上経つんだな。
64歳って若いよねぇ・・・
世間一般には、今井美樹さんの『PIECE OF MY WISH』の作曲家として有名なのかもしれないが、ボクにとって上田知華さんと言えば『さよならレイニーステーション』である。
なにしろ、楽曲をとりあげた記事を書いて、https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-07-03
収録されているアナログ盤の記事を書いている。https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2021-07-04
ってことで、当然、このアルバムを聴いて偲ぶのである。

YouTubeに彼女の映像がないかと探したら、倉田まり子さんとの共演で『さよならレイニーステーション』をやっている映像があった。
(埋め込み不可になっているので、YouTubeでどうぞ。)
https://youtu.be/3H0uzBobxSs
これは貴重な映像だよね。
『上田知華+KARYOBIN[3]』(WARNER-PIONEER L-12003E)をもう一度聴いていたら、『パープル・モンスーン』のサビのフレーズが妙に心に響いた。
♪ 曇った心の窓をあけてごらん
♪ 昨日よりステキになれるわ
この歌に励まされた女の子、たくさんいるんだろうなぁ。
心よりご冥福をお祈りいたします。
タグ:上田知華
さよならレイニー・ステーション [上田知華]
「雨の季節」なんて悠長なことは言っていられなくなるくらいの大雨で、熱海では土石流による大きな災害が起きた。
犠牲者の数や被害の全体像はまだわからないが、命を落とした人がいないことを祈るばかりである。
ボクの住んでいるあたりも、昨日の夜はずいぶんと激しい雨が降り続いていたが、朝方には小ぶりになっていたし、とくに被害はなかったようだ。
こんな大雨でなければ、「雨の季節」はそんなに嫌いではない。
まぁ、鬱陶しいことは鬱陶しいが、なんだかちょっとセンチになる季節でもある。
「雨の季節」のそんなセンチな気分を刺激する歌がいくつかあるのだが、その一つが『さよならレイニー・ステーション』だ。
倉田まり子さんが歌ってシングルもリリース(1980年9月21日発売)しているのだが、こっちのほうは、実はまったく印象に残っていない。
はじめて聴いたのも、NHKのレッツゴーヤングで、作曲者の上田知華さんが歌っているバージョンだったし(もっとも、当時、倉田まり子さんはレッツゴーヤングのレギュラーだったから、その関係で、楽曲提供した上田知華さんが出演して歌ったのだろうけど)、当時買ったのも、上田知華さんのLP(1980年7月25日発売の上田知華+KARYOBIN名義のサード・アルバム)だった。
僕がきみにできることは もう何もない
傷ついた季節を通りぬけて ここまでよく来たね
いつかもっと辛いことが あるはずだけど
微笑を浮かべて 生きておゆき
教えたとおりに
「僕」は、たぶん、とても辛い恋に傷ついた女の子が、しばらくの間、その傷を癒す場所になっただけの男だった。
彼女は、立ち直り、旅立ってゆく。
「僕」は、「大丈夫、ひとりでやっていける。 また恋もできるよ。」なんて言いながら、彼女を見送る。
彼女は、傷ついた心を癒すために、「僕」を必要としていた。
そして、たぶん、それだけだった。
それがわかっていた「僕」は、ただ友達として、彼女のそばにいた。
でも、「僕」のホントの気持ちはどうだったんだろう?
チェックの傘で隠したのは、どんな顔だったのかな?
さよならレイニー・タウン
さよならレイニー・ステーション
きみを忘れはしない
なんだか、ボクにも似たような記憶があって、この歌を聴いていると、妙にその記憶が蘇る。
なんとなく、昔録音した自分の弾き語りを聴いてみたのだが、下手くそなのはいいとしても、感情移入しすぎだろー(笑)
犠牲者の数や被害の全体像はまだわからないが、命を落とした人がいないことを祈るばかりである。
ボクの住んでいるあたりも、昨日の夜はずいぶんと激しい雨が降り続いていたが、朝方には小ぶりになっていたし、とくに被害はなかったようだ。
こんな大雨でなければ、「雨の季節」はそんなに嫌いではない。
まぁ、鬱陶しいことは鬱陶しいが、なんだかちょっとセンチになる季節でもある。
「雨の季節」のそんなセンチな気分を刺激する歌がいくつかあるのだが、その一つが『さよならレイニー・ステーション』だ。
倉田まり子さんが歌ってシングルもリリース(1980年9月21日発売)しているのだが、こっちのほうは、実はまったく印象に残っていない。
はじめて聴いたのも、NHKのレッツゴーヤングで、作曲者の上田知華さんが歌っているバージョンだったし(もっとも、当時、倉田まり子さんはレッツゴーヤングのレギュラーだったから、その関係で、楽曲提供した上田知華さんが出演して歌ったのだろうけど)、当時買ったのも、上田知華さんのLP(1980年7月25日発売の上田知華+KARYOBIN名義のサード・アルバム)だった。
僕がきみにできることは もう何もない
傷ついた季節を通りぬけて ここまでよく来たね
いつかもっと辛いことが あるはずだけど
微笑を浮かべて 生きておゆき
教えたとおりに
「僕」は、たぶん、とても辛い恋に傷ついた女の子が、しばらくの間、その傷を癒す場所になっただけの男だった。
彼女は、立ち直り、旅立ってゆく。
「僕」は、「大丈夫、ひとりでやっていける。 また恋もできるよ。」なんて言いながら、彼女を見送る。
彼女は、傷ついた心を癒すために、「僕」を必要としていた。
そして、たぶん、それだけだった。
それがわかっていた「僕」は、ただ友達として、彼女のそばにいた。
でも、「僕」のホントの気持ちはどうだったんだろう?
チェックの傘で隠したのは、どんな顔だったのかな?
さよならレイニー・タウン
さよならレイニー・ステーション
きみを忘れはしない
なんだか、ボクにも似たような記憶があって、この歌を聴いていると、妙にその記憶が蘇る。
なんとなく、昔録音した自分の弾き語りを聴いてみたのだが、下手くそなのはいいとしても、感情移入しすぎだろー(笑)
タグ:上田知華