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STRAWBERRY FIELDSへようこそ<4> [不定期連載小説]

<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>



第1話 CARPENTERS, NOW & THEN






 僕の話に納得したのか、それともまだ納得していないのかわからないが、心美はジャケットからレコードを取り出すと、レーベル面を見た。

「”Sweet Harmony”を伝えるもの・・・か・・・」
 太字になったそのクレジットを、愛おしそうに指でなぞる。


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「マニアックな話なんだけど、そのレーベル、文字通り『”Sweet Harmony”を伝えるもの』だったんじゃないかと思うんだ。」
 なんだか、彩子の話をずっとしているうちに、丁寧な言葉遣いをすることが面倒になってきた。顔も彩子にそっくりだし、まぁ、いいか。

「どういうこと?」
 心美のほうも、つられて同じ口調になっている。

 僕は、カウンターの背後のレコード棚から4枚の”NOW & THEN”のうちの1枚を引き抜いて、ジャケットからレコードを取り出した。

「これが当時から持ってるやつ。”Sweet Harmony”がないレーベル。」


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 心美が二つのレーベルを見比べて、違いを確認している。あの日、彩子が見つけた答えの確認だ。それを見ながら、僕は、もう1枚の”NOW & THEN”を引き抜いて、ジャケットからレコードを取り出す。

「こっちは、”Sweet Harmony”があるんだけど、太字じゃないレーベル。他にもちょっと違うとこがあるんだけど、わかるかな?」


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 答えがわかっていたさっきと違って、あの日の彩子と同じように、今度は心美も真剣に見比べている。

「わかった! 母の持ってたものは、REPRISEのほうには”Sweet Harmony”がないけど、これにはそこにも”Sweet Harmony”がある!」

「正解。じゃ、これとさっきの”Sweet Harmony”がないレーベルとの違いはわかるかな?」
 そう言いながらもう一枚のレコードを差し出すと、再び真剣に、心美は二つのレーベルを見比べる。


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「前のはオリーブ色でこっちは茶色で色が違うし、このA&M RECORDSのロゴ?の大きさも違うね。」

「うん。じゃ、今度は、ここに刻んである文字を見てみて。最後のMとかPとかTとかのアルファベットと数字のところだけでいいから。」
 僕はレコードの送り溝の部分を示す。慣れていないので、心美は送り溝の文字を読み取るのに悪戦苦闘していたが、それでも何とか読み取れたようだ。

「母のはT3で、最初のがM3、次のもM3で、最後のがP1かな?」

「このMとかTとかPっていうのは、どこの工場でプレスされたものかを示すんだ。Mはカリフォルニアのロサンジェルスにあったモナーク・レコード(Monarch Record Mfg. Co.)ってところでプレスされたもの。つまり西海岸。Pは、ニュージャージーのピットマンにあったコロンビア・レコードのプレス工場で、東海岸。Tは、インディアナのテレ・ホートにあったコロンビア・レコードのプレス工場で、中部。
 レーベルの色は、西海岸のモナークだとオリーブ色で、ロゴも大きい。東海岸と中部のコロンビア工場でプレスされたものは、茶色でロゴも小さい。」

「ちょっと待って。母のは、テレ・ホート工場なのにオリーブ色でロゴが大きいんだけど。」

「そうなんだ。だからさ、まさに、”Sweet Harmony”を伝えるためにモナークからテレ・ホート工場に送られたレーベルなんじゃないかと思うんだ。ここが変更になりますよって。REPRISEのほうに追加するのは忘れちゃってるけど。
 整理するとね。最初は、どこの工場も”Sweet Harmony”がないレーベルでプレスされていたと思うんだ。だから、”Sweet Harmony”がないのがファースト・プレス。A&Mは西海岸の会社だから、モナークがオリジナル工場のはずなんで、モナークの”Sweet Harmony”なしがオリジナル・ファースト・プレスってことになるかな。で、あるとき、”Sweet Harmony”を追加しないといけなくなった。それを各工場に伝えたんだけど、このB面て曲数も多いしクレジットが多いでしょ。どこにどう追加すればいいのかわからないっていうような問い合わせでも来たのかもしれない。それで、オリジナル工場のモナークで、修正箇所の”Sweet Harmony”を強調して太字にしたものを作って、とりあえずこれでプレスしてくれって、テレ・ホートとピットマンに送った。ピットマンでプレスされたレコードにも同じレーベルが使われているものがあることは確認されてるんだ。これがセカンド・プレス。彩子のもってたやつはこれ。そして、最終的にはどこも、それぞれの工場固有のレーベルで1曲目の”YESTERDAY ONCE MORE”にも最後のREPRISEにも”Sweet Harmony”が入ったものを作ってプレスするようになった。これがサード・プレス。」

 そこで、僕は最後の一枚のレコードを取り出した。


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「で、これが放送局にプロモーション用に配ったレコードで、モナークでプレスされたもの。レーベルは白いけど、書かれているクレジットは、さっきのオリジナル・ファースト・プレスと同じでしょ?」

 夢中になってしゃべっていたので気がつかなかったが、心美は何か不思議な動物を見るような目で僕を見ていた。そりゃそうだ。いきなりこんなマニアックな話を聞かされれば、誰だって引く。僕は激しく反省した。

 わかりやすくしょげている僕を見かねたのか、僕の手から白いレーベルのプロモーション盤を受け取り、「へ~」と言いながら、あたかも興味があるかのように見せかけて、心美は盤を眺めた。そういうとこ、彩子にそっくりだ。

「あれ?これってほかの盤と違って、区切りがあるんだね。」

「そうなんだ。このB面て”YESTERDAY ONCE MORE”とそのREPRISEに挟まれる形でオールディーズのメドレーをラジオ放送に見立ててつなげてあるでしょ?だから通常盤はバンドが切ってないんだけど、それだとラジオ局でメドレーの中の曲をかけたいときに探せなくて困るから、バンドを切ったバージョンを作り直したんだと思うんだ。」
 わかりやすく立ち直った僕を見て、心美が笑った。


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「これ、聴かせて。ラジオ局に配られたプロモーション盤で、このB面、聴いてみたい。」
 そう言う心美の顔が、あの頃の彩子の顔にだぶった。


 ラックスマンのプリメイン・アンプの電源を入れる。それから、レコードをノッティンガムのターンテーブルに載せ、ゆっくりと手でまわし、電源を入れる。そうして、オルトフォンのカデンツァをゆっくりと盤におろす。

     ♪ When I was young
     ♪ I'd listen to the radio
     ♪ Waitin' for my favorite songs
     ♪ When they played I'd sing along
     ♪ It made me smile

 カレンの優しい歌が、JBLから流れ出し、空間を満たしてゆく。A&Mスタジオの名エンジニア、バーニー・グランドマンの腕が冴えわたったサウンドが素晴らしい。

 そっくりな顔が目の前にあるからかもしれない。彩子との記憶が溢れ出す。

 心美の言うとおり、彩子は、このレコードと僕の写真を大切にしていたんじゃないかという気がした。いま考えれば、彩子が僕の気持にまったく気づいていなかったとも思えない。自分のことをずっと好きでいてくれた人がいたこと、その思い出は、彩子にとって、辛い時の心の支えになったこともあったんじゃないかという気がした。もしそうだとしたら、僕の9年間の片想いも報われる。

 それにしても、30年近くも経ってから、思い出の洪水に溺れそうになるとは思わなかった。

「わたし、魔法使いだから。」
 そう言って笑う彩子の顔が浮かんだ。

「魔法使いだったら、車にはねられて死んだりするなよ・・・」
 ふっと浮かんだ彩子の笑顔に向かって、僕は心の中でそう呟いた。


タグ:Carpenters
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STRAWBERRY FIELDSへようこそ<3> [不定期連載小説]

<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>



第1話 CARPENTERS, NOW & THEN






 彩子と知り合ったのは、小学生のときだった、はずである。<はず>というのは、同じ小学校に通っていたのに、小学生の彩子の記憶が僕にはまったくないからだ。一学年150人ほどの小さな小学校だったから、6年もの間にまったく接触がなかったとも思えないのだが(そして、なんとなく、一度くらいは同じクラスになったような気もしないでもないのだが)、とにかく記憶にないのだから仕方がない。

 中学校も同じだったが、これまた2年生までの彩子の記憶はまったくない。まぁ、3年生のときの記憶は彩子で溢れているんだが。

 すべての始まりは、春の終わり頃、あの保健室での出来事だった。<保健室での出来事>なんて言うと何だか少し妖しく聞こえるが、純朴な中学生のこと、妖しさなんぞ欠片もない。

 その日、剣道部の練習中に足のマメを潰してしまった僕は、保健室をたずねた。ところが、放課後の保健室には誰もいない。窓の外で、ブラスバンド部の連中がピープーフーブーとあまり上手いとも思えないトランペットやらトロンボーンやらフルートやらクラリネットやらを練習しているのが聞こえるだけである。

 途方に暮れて窓の外に目をやったとき、フルートの練習をしている彩子と目が合った。

「ど・う・し・た・の?」
 と、彩子の口がゆっくり動いた気がした。窓が閉まっていたせいか、あるいはピープーフーブーのせいか、声はまったく聴こえなかった。

「あ・し・の・ま・め、つ・ぶ・し・た。」
 僕も大きくゆっくりと口を動かす。どのみち、声は聴こえないだろうから、声は出さなかった。

 彩子は首をかしげている。どうやら伝わらなかったらしい。もっとも、途方に暮れている表情は伝わっていたのだろう。
「い・ま・い・く。」
 そう大きく口を動かしたあと、昇降口に向かって走り出した。

 その後、保健室のドアをあけて、「どうしたの?」と息を切らした彩子が入ってくるまでに、1分もかかっていなかっただろう。なんだか緊急事態だと誤解されたようで、僕はちょっと慌てた。

「ごめん。足のマメ、潰しただけ。」
 僕はすぐ近くにあった丸椅子に腰かけて、右膝のうえに、足の裏がみえるように左足を載せた。潰れたマメは表皮が剥がれて、赤い真皮がむき出しになっている。

「痛そう・・・」
 彩子は、自分のことのように顔をしかめた。

 それから、薬品棚の前に置いてあったカートから、オキシドールと脱脂綿とピンセットをもってきた。ピンセットでつまんだ脱脂綿にオキシドールを滲みこませると、僕の前に膝をついて、むき出しになった赤い真皮にやさしくトントンと塗布する。そうして、「ふぅ~っ ふぅ~っ」と息を吹きかける。それを何度か繰り返す。

 オキシドールは確かに少ししみたが、それ以上に温かい彩子の息がこそばゆかった。そのこそばゆさは、マメを潰した足の裏だけでなく、僕の心の一番敏感な場所も刺激した。


 そのとき僕は、生まれて初めての恋に落ちた。


「あれ?ぜんぜん痛くなくなった。」
 僕が言うと、
「わたし、魔法使いだから。」
 そう言って、彩子は笑った。


 中学生の恋なんて、ほとんどの場合、告白する勇気なんて持てず、大した進展もせずにそのまま終わるのが関の山だ。僕も例外ではなかった。僕にとって彩子は一番親しい女友達だったし、学校行事がらみでいろんな思い出もできたが、結局それだけだった。


 高校は、別の学校に進学した。

 僕には新しい世界ができたし、彩子にもやっぱり新しい世界ができたんだと思う。二人の世界が重なり合うのは、たまに町なかで(だいたい本屋かレコードショップで)偶然会うときぐらいになった。それでも、そんな風に出会ったときは、1時間2時間とおしゃべりをしていたから、やっぱりずっと一番親しい女友達ではあったんだろう。


 大学は、2人とも東京だった。

 二人の関係が変わったのか変わらなかったのか、僕にはよくわからない。一番親しい女友達という意味では変わらなかった。それは確かだ。

 ただ、偶然会うということが期待できなくなった結果、僕たちはよく電話をするようになったし、いっしょに渋谷や新宿の街に出かけるようになった。

 電話はほぼ毎日で、10分ほどで終ることもあったが、平均すれば30分から1時間は話していたと思う。最長6時間という記録もある。右の耳が痛くなったら左耳にかえ、左耳が痛くなったら右耳にかえ、そんなことを繰り返しながらの6時間、最後には耳の感覚がほとんどなくなっていた。それにしても、よくあれだけ話すことがあったもんだと、いまだに不思議でしかたがない。

 街に出かけるのは月に一度くらいだった。二人とも映画が好きだったから、映画を観に行くことが多かったが、お互いのショッピングにつきあうことも多かった。いずれにせよ、「逢うこと」それ自体が目的ではなく、「映画」や「ショッピング」といった何か特定の目的のために逢っていた。

 いや違うな。

 僕にとっては、「映画」や「ショッピング」はカモフラージュで、「逢うこと」自体が目的だった気もする。一番親しい女友達への僕の恋は、たぶんずっと続いていたんだと思うのだ。なんだかはっきりしないのは、彩子への気持ちが決して激しいものではなかったからだ。彩子のことは大好きだった。それは間違いない。でも、その思いは、すでに胸を締め付けられるようなものではなくなっていて、いつも穏やかで優しいものだった。


 お互いのアパートを行き来することはあまりなかったが、それでも病気をしたときとかには、看病に行ったり、来てもらったりしたことはある。彩子が僕の部屋のレコード棚にカーペンターズの”NOW & THEN”が二枚並んでいるのを見つけたのは、大学4年の秋、風邪で高熱が出てぶっ倒れていた僕の看病に来てくれたときのことだった。

 熱が下がってだいぶ回復した後のこと、こんな会話をした記憶がある。

「なんで同じレコードが二枚あるの?」

「同じに見えて、実は同じじゃないんだな。」
 僕は二枚のレコードをジャケットから出して、B面が見えるように並べた。
「レーベルをよく見てみて。」


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 彩子はしばらく見比べた後で、「あ~わかった!」と声をあげた。

「こっちは、”YESTERDAY ONCE MORE”の下のクレジットが太字になってる! それに”Sweet Harmony Music”っていうのが付け加わってる!」

「正解! たぶん、この”Sweet Harmony Music”ってクレジット、後から付け加えられたんだと思うんだ。それで、それがわかるように強調して太字にしたんじゃないかと。」

「そっかぁ。”Sweet Harmony”を伝えるためのものなんだね。」

「なんか、そういう言い方すると、すごく素敵なものに思えてくるから不思議。」

「私、魔法使いだから。」
 そう言いながら彩子は笑った。

 そのとき、『彩子と一緒にいると、僕の心にはいつもSweet Harmonyが響いてる。』なんて、おそろしく恥ずかしいフレーズが思い浮かんだのだが、そんなものを口にできるはずもなく、
「じゃ、魔法使いさんに、このレコードあげるよ。今日の看病のお礼に。」
 そう言うのが精いっぱいだった。僕にしたら、そのレコードは、紛れもなく”Sweet Harmony”を伝えるものだったわけだ。若気の至りとはいえ、なんと恥ずかしい・・・

 さて、彩子のほうはといえば、そんな僕の気持ちにはまったく気づかないように、予期せぬプレゼントを単純に喜んでいた。そうやって、”Sweet Harmony”を伝える”NOW & THEN”は彩子のものになった。


 大学を卒業した後、僕は東京で、彩子は故郷に戻って就職した。

 社会人になると僕の生活は一変した。学生時代とは違って、暇もなければ余裕もない。仕事を覚えるのに必死で、あっという間に毎日が過ぎてゆく。帰宅時間も遅かったから、学生時代のように、毎晩彩子と電話で話すということもなくなった。携帯電話なんてなかった時代である。当初、週末には必ずしていた長電話も、やがて隔週になり、月に一度になった。彩子にしても、実家に戻り、一人暮らしの寂しさを紛らわすための長電話は必要なくなっていたんじゃないかと思う。

 故郷までは新幹線なら2時間ほどだったが、僕が逢いに行くこともなかったし、彩子が逢いに来ることもなかった。僕たちは、「映画」や「ショッピング」のような口実をうまく見つけることができなかった。


 そうこうするうちに、気づいたら1年の月日が流れていた。

 ある日のこと、僕は、引き出しの奥に、フィルムを入れっぱなしのコンパクトカメラを見つけた。そういや、大学4年の12月、彩子が友達を連れてうちに押しかけてきてクリスマス・パーティーをやったときに、確かこのカメラで写真を撮っていた。フィルムがまだ残ってたんで、撮り切ってから現像に出そうと思って、そのまま忘れてしまっていたのだった。

 現像に出してみると、僕と彩子が並んで笑っている写真が一枚出てきた。ことのほかよく撮れている。考えてみたら、これだけの長い付き合いなのに、一緒に写真を撮ったことってなかったな。そう思ったら、僕はこの写真のことをすぐに彩子に知らせずにいられなくなった。

 電話をして「すぐに送ってあげる。」と言う僕に、「ちょうど東京に行きたいと思ってたから取りに行っていい?」と彩子は応えた。そうして僕たちは、1年ぶりに逢うことになった。


 彩子に最後に逢ったときのことは、実はあんまり覚えていない。というより、その日の深夜、帰宅を知らせる彩子からの電話で聴いた話が強烈すぎて、逢ったときの記憶がほとんど飛んでしまったのだ。

 僕たちは、大学生の頃誕生日とかのイベントのとき偶に行った、渋谷にあるリーズナブルなフレンチ・レストランで逢ったのだが、覚えているのは写真を渡したときのことだけだ。

「1年しか経ってないのに、なんだかすごく遠い昔の気がするね。」
写真を見ながら彩子が言った。

「最近、よく、貴也くんにもらったカーペンターズのレコード聴くんだ。”YESTERDAY ONCE MORE”から始まるB面を聴いてると、なんだかすごく切なくなる。」
 そう言って笑う彩子の目から、涙がポロリと零れた。

 忙しく慌ただしい日常にひたすら追われていた僕の世界と、故郷のあの穏やかな時間の流れの中に戻った彩子の世界は、どうやらまったく違う景色だったらしい。僕は言葉が見つからず、写真を見つめる彩子をただ黙って見ていた。

「ごめん!なんかセンチになっちゃった。」
 彩子は、涙をぬぐいながら顔をあげると、そう言って笑った。ファンデーションの上に少し涙の跡が残っていて、彩子の顔がピエロのように見えた。哀しい顔のピエロ。

「涙の跡が残ってる。」
 僕はそう言いながら彩子の顔に手を伸ばす。顔を包むように手のひらをあてると、親指で涙の跡をこすって消した。彩子はされるままにしていた。

「消えた。」

「なんだか、わたし、おかしいね。」
 そう言って笑った彩子の顔は、涙の跡が消えても、哀しいピエロのままのように見えた。


 帰宅を知らせる深夜の電話で、写真を受け取るために彩子がわざわざ僕に逢いに来た理由を知った。

「お見合いして、結婚が決まったんだ。貴也くんには直接逢って話さないといけないと思って今日行ったんだけど、なんだか言い出せなかった。だって、あまりにも1年前と変わってないんだもん。」

 彩子が変わってないと思ったのは、僕のことだったんだろうか。それとも、僕と彩子の関係のことだったんだろうか。それを確かめる機会は、結局、来なかった。

 その後、僕は彩子に電話をかけることができなくなったし、彩子からかかってくることもなくなった。結婚式の招待状どころか、結婚を知らせる挨拶状さえ届かなかった。

 だから、その後の彩子のことは、何も知らない。


タグ:Carpenters
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STRAWBERRY FIELDSへようこそ<2> [不定期連載小説]

<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>



第1話 CARPENTERS, NOW & THEN






「私、桝谷彩子の娘で、桝谷モトミといいます。伊東さんにちょっとお尋ねしたいことがあってきました。」

 30年近く連絡もとっていない古い友人(彩子を友人というカテゴリーに入れるのが適当かどうかよくわからないが)の娘が、いったい僕に何を訊きたいというんだろう。皆目見当がつかない。いずれにしろ、簡単な話ではない気がする。そんな話を、立ち話でするわけにもいかないので、僕はそのモトミという娘を連れて店に戻ることにした。店というのは、半年ほど前に僕がオープンさせた≪STRAWBERRY FIELDS≫という名のジャズ・ロック喫茶で、レコードショップのすぐ隣のビルにある。

 店に着くと、ドアに貼りつけた<隣の湘南音盤堂に行っています。11時には戻ります。店主>という走り書きのメモを剥がし、鍵をあける。彼女は、おそらく僕をたずねて店を訪れ、このメモを見てレコードショップ湘南音盤堂(「しょうなんれこーど」と読む。)にやってきたのだろう。

 用件がどんなものかわからないが、話の途中で客が来ても困るので<CLOSED>の看板はそのままにして中に入り、電気をつける。それから僕はカウンターの中に入り、彼女には席に座るように促した。

「珈琲でいい?」
 言ったあとで、自分の口調が馴れ馴れしすぎることに気づく。

「あっと・・・珈琲で、いいですか?」

「あっ、はい。」

 さっきは「似てるな」と思った程度だったのだが、見れば見るほど目の前の娘は彩子にそっくりである。僕の知っている彩子より多少大人っぽいが、彩子に最後に逢ったのは彼女が23の頃だから、5年も経てばこんな感じになっていたんだろうなと思う。なんだか、あの日からまだ5年しか経っていなくて、20代後半の自分に20代後半の彩子が逢いにきてくれた、そんな錯覚に陥ってしまった。それが、馴れ馴れしすぎる口をきいた理由だった。

「モトミってどんな字を書くんですか?」

「心が美しいと書きます。」
 彩子がつけた名前だろうなと、僕は思った。うん、いかにも彩子がつけそうな名前だ。

「彩子・・・彩子さんは、お元気ですか?」
 ネルドリップで珈琲を淹れながら尋ねる。それにしても、「彩子」に「さん」をつけるのはものすごく違和感があるな。

「母は、一か月前に亡くなりました・・・」

「えっ?」
 驚きのあまり、僕はお悔やみを言うのも忘れていた。

「どうして・・・」

「事故でした。車にはねられて・・・」
 これまでも同級生の訃報が届いたことはあった。しかし、それは、隣のクラスの顔を知っているという程度の同級生の訃報だった。本当に親しかった友人の訃報が届いたのは初めてのことだ。僕はしばらく茫然としていた。

 ようやく気を取り直して、止まっていた手を動かす。この珈琲は完璧な味にはほど遠いだろうなと思ったが、淹れなおそうとは思わなかった。たぶん、この珈琲は、彩子を悼む味がする。

 言葉が見つからず、黙ったまま珈琲を淹れていると、彼女が言った。

「それで、遺品整理をしていたら、このレコードが出てきて・・・」
 彼女が、黒い革製のトートバックから取り出したのは、カーペンターズ(Carpenters)の”NOW & THEN”だった。


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「ジャケットの間には、こんな写真も挟まってたんですよ。」
 その写真には大学生の僕と彩子が写っていた。背後にはクリスマスツリーも写っている。そう、これは大学4年のクリスマス・パーティーのときに撮った写真だ。この心美という娘が湘南音盤堂ですぐに僕を特定できた謎が解けた。

 このレコードのことも、この写真のことも、よく覚えている。レコードは僕があげたものだし、写真は、最後に逢った時に僕が渡したものだった。

「このアルバム、CDでも持っていて、母はよく聴いてたんですよ。でも、うちにはレコード・プレーヤーもないし、レコードも大事に持ってるなんて知りませんでした。それにこの写真でしょ? 絶対に何かあると思って・・・母と一緒に写ってる男の人は誰かって、母の友達にききまくっちゃいました。」

 そういうことか。≪STRAWBERRY FIELDS≫の開店にあたって、古い友人にも案内を出しまくったが、その中には彩子と繋がりがありそうな人間もいた。30年近くの時間が流れているので、その繋がりは年賀状の交換程度になっていたかもしれないが、少なくともここに辿り着くルートは残っていたというわけだ。

 しかし、「何かある」っていったいどんなことがあったと、この娘は思っているんだろう? 僕は、そんなことを思いながら、少し酸味が強くなっているであろう珈琲を、彼女の前に置いた。


 ≪STRAWBERRY FIELDS≫のカウンターの背後には、1000枚ほどのジャズやロックのLPレコードが並んでいる。僕のコレクションの一部だ。自宅にはこの他に5000枚ほどあって、ときどき入れ替えたりしているが、高価ないわゆるレア盤の類はほとんどない。そういう意味では、僕はコレクターズ・ヒエラルヒーの最底辺に生息するコレクターである。

 ただ、好奇心は人一倍強い。気に入ったアルバムについては、どれがオリジナル・ファースト・プレスなのか探求せずにはいられない。すでに研究が進んで明らかになっている事実もあるが、なにしろこれまで星の数ほどのレコードがリリースされているので、未解明の部分もかなり多い。それに、定説と言われているものが場合によっては間違っていたりすることもあるので、興味はつきないのである。

 僕はレコード棚にカーペンターズの”NOW & THEN”を探す。4枚のアメリカ盤が並んでいるのが見つかった。このレコードも、オリジナル・ファースト・プレスを探求したことがあるもののうちの一つだ。


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「伊東さんと母は恋人同士だったんですか?」
 僕の背中に心美が訊いた。

「恋人ではありませんでしたよ。小学校の頃からの同級生で、二人とも東京で大学生をしていたときは、かなり親しくはしてましたけど。大学を卒業したあと、彩子さんのほうは故郷に戻ってしまったので、疎遠になっちゃいましたが。」
 僕は、4枚のレコードの背表紙を撫でながら、心美に背を向けたまま答えた。それからゆっくり振り返ると、心美が言った。

「でも、母は伊東さんのことが好きだった。でなきゃ、このレコードと写真、大事にしまっておきませんよね。」

「大事にしまっておいたわけじゃなく、押し入れの奥にしまいこんで、忘れてただけなんじゃないですか?」
 僕の返事に心美が睨む。どんなに睨まれても、<ずっと好きだったが、告白もしていないのにふられた>なんてことを、その娘に自白するのはご免である。僕はしらを切りとおすことに決めた。

「わたしが物心つくまえに、母は父と離婚しました。わたしには父の記憶はまったくありませんし、母が父のことをまったく話してくれなかったので、父がどんな人なのかもわかりません。母のことですから、いつか話してくれるつもりではいたんだと思うんですが・・・」

 あまりにも意外な話で僕は茫然とする。じゃ、彩子はずっと母一人子一人でこの心美という娘を育てながら生きてきたということか。連絡をくれていれば、何か力になってあげられることもあっただろうに・・・

「伊東さん、わたしのお父さんなんじゃないですか?」
 予想もしない質問に、驚きのあまり、僕の頭はうまくまわらない。

「彩子さんが結婚したのは僕ではありませんよ。」
 さすがにそれは知ってることだろうと、言ったあとに気づいた。

「それはわかってます。でも、子供の父親が、結婚した相手とは限りませんよね?」
 一般論としては、そういうこともあるだろう。しかし、彩子に限ってそれはない。

「母に最後に逢ったのはいつですか?」

「大学を卒業して1年ぐらい経ったあとだったかな・・・」

「ということは29年前ってことですよね? わたし、28です。計算が合います。」
 そりゃ確かにそのぐらい大雑把な計算なら合うかもしれないが、僕と彩子は手を繋いだことさえないのだ。計算自体に意味がない。

 どうやらこの心美という娘、かなり思い込みが激しいらしい。僕と彩子がどんな関係だったのかを丁寧に説明してあげる以外に、誤解を解く方法はなさそうだった。
 僕はしらを切りとおすのをあきらめた。

タグ:Carpenters
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STRAWBERRY FIELDSへようこそ<1> [不定期連載小説]

<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>



プロローグ



 エサ箱のロック新着コーナーを漁っていると、隣に人が立った。ほのかにやわらかい匂いが漂ってきて、どうやら若い女性っぽい。エサ箱にのびる白く細長い指がレコードを一枚ゆっくりと引き上げ、少し静止させたあと、またゆっくりと元に戻すのが、視界の片隅に入ってきた。あまり慣れていないらしい。

 対照的に素早く手を動かしながら目前のエサ箱をチェックし終えた僕は、その場を離れてジャズ新着コーナーのほうに移動する。ロックの新着には、めぼしいものが見つからなかった。

 ジャズの新着を半分ほど漁ったところで、ずっと探していた一枚を見つけた。アナ・マリア・アルバゲッティ(Anna Maria Alberghetti)が1957年にキャピトルからリリースしたセカンド・アルバム”I Can’t Resist You”だ。

 “My One And Only Love”という曲がとにかく好きで、この曲が入っているものは見つけたら買うようにしているのだが、それで何年か前に、このアルバムにも出逢った。そのとき手に入れたのは紙ジャケットのCDだったが、このアルバム、何と言ってもジャケットが素晴らしい。どうしたってオリジナルのアナログが欲しくなる。そんなわけで、「ずっと探していた一枚」なのである。

 もっともこのレコード、かなり売れたレコードらしく、数はあるので、入手自体は難しくない。ただ、USオリジナルはラミネート・コーティングされていないので、ジャケットの状態が満足できるものとなると、なかなかめぐり逢えなかったのだ。

 しかし、目の前の一枚は、十分な美しさを保っている。とりあえず、第一関門は突破である。


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 第一関門を突破したからといって、安心できない。このレコードには、カタログ番号がUS盤と同じT887のカナダ盤がある。ジャケットの状態がよければカナダ盤でも良いじゃないかと思うかもしれないが、レコードは聴くものだ。僕は、アナの天使の歌声で“My One And Only Love”が聴きたいんである。US盤がオリジナルのレコードのカナダ盤は、音質的にはハズレなことが多い。ジャケットの状態が良くたって、カナダ盤じゃダメなのだ。

 当然のことながら、このレコード、再発もある。音質的には、再発よりオリジナルが圧倒的に有利なので、これまた再発じゃダメなのだ。このレコードの場合、レーベルがブラック・レインボーではダメで、ターコイズ・ブルーでなきゃいけないんである。

 僕は”I Can’t Resist You”を左手で抱えながら、ジャズの新着の残りをざっと見たあと、レジに向かおうとして、ロック新着コーナーのほうに目をやった。さっき隣に立った若い女性らしい客が、どんな容姿なのか確認してみたくなったのだ。まさか「美女とレコード」みたいな光景を目にすることはないよなと、微かな期待をあえて打ち消しながら。

 その女性は、さっきと同じ場所で、一枚一枚ゆっくりとレコードを見ていた。ショートカットの髪に隠されて顔はよく見えなかったが、オフホワイトのゆったりとしたニットを黒のスキニーデニムにフロントインで着こなしている。身長は165センチくらいの細身で、着こなしのせいか、足がすらりと長く見えた。肩には、LPレコードがまるごと入るくらいの大きな黒い革製のトートバックをかけていた。これで美人だったら、それこそまさに「美女とレコード」の光景である。

 そう思った瞬間、その女性が僕の方に顔を向けた。

 美人である。

 派手な美人ではないが、美人に間違いない。

 目、鼻、口といったパーツはすべて小さいが、それが実に上品にまとまっている。つまり和風美人である。

 まさに「美女とレコード」日本版ではないか。

 しかも、なんだか少し懐かしさを感じる顔立ちなんである。それもあってちょっと見とれてしまったのだが、そのとき、彼女も僕をまっすぐに見ていた。年齢は20代後半くらいか。50も過ぎたおっさんと20代後半の若く美しい女性が、レコードショップのエサ箱の前で見つめあっている。

 異様な光景である。

 その異様さにすぐに気づいて僕は目を逸らせた。そして、そのまま、レジに向かった。

 「見つめあった」なんて思ったが、実はほんの一瞬のことだったはずだ。たぶん、客観的には、一瞬目が合った程度の出来事だったに違いない。いや、それにしても美人だった。もう一度振り返って顔をみたい衝動にかられたが、それをやったら間違いなく「変なおじさん」である。レジにたどり着いた僕は、衝動を抑えて、「検盤させてください。」と女性店員に言った。

 ジャケットからレコードを慎重に取り出す。レーベルはターコイズ・ブルーである。第二関門は突破した。


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 続いてレーベルのリムのあたりをよく確認する。カナダ盤ではなくUS盤に間違いない。第三関門も突破だ。

 次は、送り溝の確認だ。刻まれていたマトリックスはT1-887-D7/T2-887-D4で、両面にスクラントン工場のマークがある。おそらく両面D1が一番良いんだろうし、キャピトルなんでロサンジェルス工場プレスのほうがいいのかもしれないが、まぁ許容範囲だろう。それより、ピカピカの盤面がうれしい。

 支払を済ませ、長らく探していたレコードを手に入れてスキップしたくなる気持ちを抑えて、僕は店を出た。早く自分の店に戻って、このレコードが聴きたい。

 そこで、「あの・・・」と後ろから声をかけられた。

 振り返ると、さっき見つめあった女性が立っている。やっぱり美人だ、なんて見とれている場合ではない。こんな美人が僕に用があるとも思えないのだが、いったいどんな用件なんだろう。僕は思わず緊張する。

「伊東貴也さん、ですよね?」

 驚きのあまり、僕は言葉につまる。何故、素性がばれているのだ?

「わたし、桝谷彩子の娘です。」

「えっ?」

「桝谷彩子、憶えてますよね?」

 そりゃ、もちろん、憶えてはいるが・・・

 憶えてはいるが、30年近く連絡もとっていないし、顔だってすぐには思い出せな・・・

 その瞬間、懐かしい彩子の顔が甦った。

 そして、何故さっき目の前の彼女の顔立ちに懐かしさを感じたのか、その謎が解けた。


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