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エレクトラの赤の不思議~Patrice Rushen, PatriceのUSオリジナル [Bernie Grundman(BG)の仕事]

火曜日に、近所のブック・オフやハード・オフではなく、ボクを町田へと向かわせたデア・レコーズさんのツイートは、このレコードについてのものだった。


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パトリース・ラッシェン(Patrice Rushen)が1978年10月17日にリリースした、通算4枚目で、エレクトラ移籍後初のアルバムである"Patrice"のUSオリジナル(Elektra 6E-160)である。

バラエティに富んだ佳曲が並ぶとても良いアルバムだ。
シングル・カットされたA2"When I Found You"は名曲だと思う。

話をもどそう。
デア・レコーズさんのツイートのどこが引っ掛かったかと言えば、「USエレクトラ赤ラベル」と書かれていたところだ。
最初の画像でもわかるが、このレコード、レッド・レーベルなんである。


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ボクもちょっとだけ協力したレコード・コレクターズ2023年5月号の初盤道で、このレッド・レーベルが話題になっていたが、エレクトラがこのレーベルを一般的に使用するようになるのは、1979年夏頃のはずである。

最初は、「単にレイトってだけ」かと思ったのだが、デア・レコーズさんは、基本的に、オリジナルならオリジナル、リイシューならリイシューと書く。
しかし、"Patrice"のツイートでは、「USエレクトラ赤ラベル」のみで、オリジナルなのかリイシューなのか書いてなかった。

それで気になって、Discogsで確認すると、東部のスペシャルティ・レコード・プレス(SPプレスと呼ぶ。)にはバタフライ・レーベル(最近、エレクトラのレーベルに描かれてているのは、実は、ニシキオオツバメガという蛾だ、とTLに教えてもらったのだが、いまさらモス・レーベルと言っても通じないので、今後もバタフライ・レーベルと呼ぶ 笑)が存在するのだが、西部のPRCコンプトン工場プレス(PRC-Wプレスと呼ぶ。)にも、中部のPRC工場プレス(PRCプレスと呼ぶ。)にも、バタフライ・レーベルは存在せず、初回プレスからレッド・レーベルのようなのである。

単に、PRC-WプレスとPRCプレスのバタフライ・レーベルがDiscogsに登録されていないだけかと思いきや、PRC-WプレスのWLPのデザインがバタフライ・レーベルではなくレッド・レーベルのものだし、PRCプレスのプロモは、ホワイト・レーベルではなく、レッド・レーベルに"PROMOTION COPY"と印刷されたものだったから、PRC-WプレスとPRCプレスは、初回からレッド・レーベルだったというのは間違いないと思うのだ。

しかも、このアルバム、ロサンジェルスのコンウェイ・スタジオ(Conway Studios)録音で、マスタリング&カッティングはA&Mスタジオでバーニー・グランドマン(Bernie Grundman)が行っている。
西海岸プレスつまりPRC-Wプレスがオリジナルの可能性が高いんである。

さらに調べてみると、Discogsでレコード番号を追ってざっと見てみただけなので確実なことは言えないのだが(レコード番号順に発売されるとは限らないし、発売日がわからないのが多いのですよ。)、どうも、1978年の夏頃にはPRC-Wプレスではバタフライからレッドに移行し、10月リリースのこのパトリースのレコードからPRCプレスもバタフライからレッドに移行し、1979年の初夏頃にSPプレスもレッドに移行するということのようだ。

つまり、西から順に、時期的にずれて、バタフライからレッドに変遷したようなのだ。
あまりにも奇妙なので、このあたりは、もうちょっとちゃんと調べてみないといけないよね。

1976年に一時的に使用されたアサイラムの青レーベル(詳しくは、https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2018-12-08 をどうぞ。)といい、1978年に例外的に使用されたこのエレクトラの赤レーベルといい、エレクトラ/アサイラムのレーベル変遷は一筋縄ではいかないなぁ・・・

タグ:Patrice Rushen
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