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アサイラムの青~ホテル・カリフォルニアへの長い旅2~ [アナログ・コレクターの覚書]

今日は12月8日、ジョン・レノン(John Lennon)の命日である。
ってことで、ジョンを偲んで、彼のレコードをいろいろ聴く予定なのだが、このブログ的には、12月8日は別の意味で重要である。
そう、イーグルス(Eagles)『ホテル・カリフォルニア』のリリース記念日なのである。

ってことで、「ホテル・カリフォルニアへの長い旅」の続編である。


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<聴いているのは、東部SP工場産のマト末尾がない盤。>



ようやく準備が整ったと言いたいところなのだが、アテにしていたブツは届いてみたら何の役にも立たないことが判明してしまい、まったく研究は進んでいない。
いつになったら先に進むのかもわからない。
もう先に進まないかもしれない(弱気なボク)。

そんなわけで、リリース記念日でもあるし、この際、いま考えていることをとりあえず書いてしまおうという気になった。


ボクの仮説は、「『ホテル・カリフォルニア』のオリジナル工場は東部SP工場なんじゃないか」というものだ。

素直に考えれば、アサイラム・レコ―ズ(Asylum Records)はデヴィッド・ゲフィン(David Geffen)がロサンゼルスで設立した会社だから、西部CSM工場がオリジナル工場だということになりそうである。
実際、ある時期までそうであったことは間違いないと思う(アトランティック配給だった初期をのぞく)。

1973年8月にニューヨークのエレクトラ・レコ―ズ(Elektra Records)と統合して、社名がエレクトラ/アサイラムとなった後も、新会社の社長にはゲフィンが就任したから、少なくともアサイラム・レーベルでのリリースについては、西部に主導権があったと思われる。

しかし、ゲフィンは、1975年にはワーナー・ブラザース(Warner Bros.)の副社長に就任してアサイラムを去る。
このあたりから、エレクトラ/アサイラム内部で、東部エレクトラ勢力がかなり拡大していったんじゃないかとボクは疑っているのである。

そう疑う根拠は、アサイラムのこの青レーベルだ。

この青レーベル、エレクトラが60年代半ばから70年にかけて使用し、80年代初頭にEロゴを小さくして復活させたレーベルに、デザインがよく似ている。
色を赤(初期は金)から青に換え、Eロゴをaロゴに変更しただけである。
なんだか、エレクトラ勢力がアサイラムは俺たちの配下だと主張しているようで、思いっきり力関係が示されているみたいじゃないか。

しかも、この青レーベル、かなり特殊な使い方がされている。
1976年のほんの一時期だけ、東部SP工場と中部PRC工場限定で使用されていたようなのである。


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<東部SP工場産の青レーベル。Linda Ronstadt, Hasten Down the Windのもの。>



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<中部PRC工場産の青レーベル。The Richie Furay Band, I’ve Got A Reasonのもの。>



このように東部SP工場産と中部PRC工場産の青レーベルは存在するが、西部CSM工場で、このレーベルが使用されているのは見たことがない。

使用時期についても、1976年9月リリースのトム・ウェイツ(Tom Waits)” Small Change”(7E-1078)以降でこのレーベルが使用されているのを見たことがないので、7E-1077のデヴィッド・ブルー(David Blue)”Cupid's Arrow”が最後だろう。

”Cupid's Arrow”については、たまたまこの青レーベルのWLPを発見したので買ってみた。


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<David Blue, Cupid's ArrowのWLP。東部SP工場産である。>



青レーベルにも、ちゃんとWLPが存在するのである。
もっとも、Discogsやオークションの地引網調査では、WLPが存在するのは東部SP工場産のみで、中部PRC工場産のプロモ盤では白ではなく通常の青レーベルのサイド表記下に”PROMOTION COPY NOT FOR SALE”と印刷されたものが使用されたようだ。
ちなみに、この時期でも、西部CSM工場産のWLPは、クラウズ・レーベルのデザインである(それを発見したときに、西部CSM工場産には青レーベルが存在しないことを確信した)。

問題は、この青レーベルがいつから使用されたかである。

たとえば、1974年のトム・ウェイツ” The Heart of Saturday Night”にもこの青レーベルが存在するが、それは76年の再発時に使用されたものであって、74年からこのレーベルが使用されていたわけではない。
つまり、オリジナルで使われている場合と再発で使われている場合があるので、それをしっかり見分ける必要がある。

逆に言えば、オリジナルで使われているものが特定できれば、使用時期も特定できる。

そこで、一応手がかりになるのがWLPだ。
この青レーベル・デザインのWLPが存在する盤は、オリジナルで青レーベルが使用されたとみていいんじゃないだろうか。
逆に、東部SP工場産なのに、WLPがクラウズ・レーベル・デザインのものであれば、それの青レーベルは再発ということになる。

ってことで、地引網調査を実施してみた結果、7E-1067のThe Richie Furay Band, I've Got A Reasonまでは青レーベル・デザインのWLPの存在が確認できた。
7E-1066のKeith Carradin, I'm Easyについては東部SP工場産のプロモ盤自体が発見できなかったので不明だが、7E-1063のJay Ferguson, All Alone in the End Zoneでは、東部SP工場産のWLPもクラウズ・レーベル・デザインである。
どうやら、このあたりが境目のようだ。

7E-XXXXというカタログ番号は、アサイラムとエレクトラで共通なので、この青レーベルがオリジナルでリリースされたレコードは6枚か7枚だと思う。
たぶん、1976年8月前後の1~2か月だけ使用されたレーベルなのだ。

1976年8月前後限定で使用されたらしいことがわかった時点で、ふっと思いついたことがある。
アサイラムが設立後最初にリリースしたのはジュディ・シル(Judee Sill)のファーストアルバムで、1971年9月15日のことだった。
そう、1976年8月前後というのは、ちょうどレーベル設立5周年にあたる時期だったのだ。

レーベル設立5周年記念企画みたいなものがあれば関連CSとか出てきそうなので、そういう企画が実行されたわけはないと思うが、しかし、そういう企画でもないと、ほんの1~2か月しか使われなかった特殊なレーベルというのもちょっと考えにくい気もする。

ってことで、思わず妄想してしまったのが、下記のようなストーリーだ。
東部エレクトラ勢力中心に5周年企画が計画されたが、記念リリース盤に使用が予定されていたレーベル・デザイン、つまり青レーベルのデザインを見て西部アサイラム勢力が猛反発して、企画自体が消えてしまった。
しかし、青レーベル自体はすでに用意されていたので、エレクトラ勢力下にあった東部SP工場と中部PRC工場限定で、1976年8月前後の1~2か月のみ、ひっそりと青レーベルが使用された。

真相は不明だが、いずれにせよ、アサイラム・レーベルのリリースにおける実権を西部側が完全に掌握していたのだとすれば、東部と中部におけるこんな変則的なレーベル使用が許されるわけはないので、少なくとも、エレクトラ/アサイラム内部において、アサイラム・レーベルのリリースについても東部側がかなりの影響力を持っていたのは確かだと思うのである。

ホテル・カリフォルニアがリリースされたのは、この青レーベル騒動が終わったしばらくあとの1976年12月8日だ。
このリリースについて、東部側が主導権を握っていた可能性も、ボクは否定できないと思うのである。
まぁ、かなり妄想が入った推測だけどね(笑)

ところで、このアサイラムの青レーベルを掘っている最中に、Linda Ronstadt, Hasten Down the Wind(7E-1072)やJohn David Souther, Black Rose(7E-1059)のオリジナルについてちょっとした発見があったのだが、それについては、また別の機会に。


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