STRAWBERRY FIELDSへようこそ<1> [不定期連載小説]
<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>
プロローグ
エサ箱のロック新着コーナーを漁っていると、隣に人が立った。ほのかにやわらかい匂いが漂ってきて、どうやら若い女性っぽい。エサ箱にのびる白く細長い指がレコードを一枚ゆっくりと引き上げ、少し静止させたあと、またゆっくりと元に戻すのが、視界の片隅に入ってきた。あまり慣れていないらしい。
対照的に素早く手を動かしながら目前のエサ箱をチェックし終えた僕は、その場を離れてジャズ新着コーナーのほうに移動する。ロックの新着には、めぼしいものが見つからなかった。
ジャズの新着を半分ほど漁ったところで、ずっと探していた一枚を見つけた。アナ・マリア・アルバゲッティ(Anna Maria Alberghetti)が1957年にキャピトルからリリースしたセカンド・アルバム”I Can’t Resist You”だ。
“My One And Only Love”という曲がとにかく好きで、この曲が入っているものは見つけたら買うようにしているのだが、それで何年か前に、このアルバムにも出逢った。そのとき手に入れたのは紙ジャケットのCDだったが、このアルバム、何と言ってもジャケットが素晴らしい。どうしたってオリジナルのアナログが欲しくなる。そんなわけで、「ずっと探していた一枚」なのである。
もっともこのレコード、かなり売れたレコードらしく、数はあるので、入手自体は難しくない。ただ、USオリジナルはラミネート・コーティングされていないので、ジャケットの状態が満足できるものとなると、なかなかめぐり逢えなかったのだ。
しかし、目の前の一枚は、十分な美しさを保っている。とりあえず、第一関門は突破である。
第一関門を突破したからといって、安心できない。このレコードには、カタログ番号がUS盤と同じT887のカナダ盤がある。ジャケットの状態がよければカナダ盤でも良いじゃないかと思うかもしれないが、レコードは聴くものだ。僕は、アナの天使の歌声で“My One And Only Love”が聴きたいんである。US盤がオリジナルのレコードのカナダ盤は、音質的にはハズレなことが多い。ジャケットの状態が良くたって、カナダ盤じゃダメなのだ。
当然のことながら、このレコード、再発もある。音質的には、再発よりオリジナルが圧倒的に有利なので、これまた再発じゃダメなのだ。このレコードの場合、レーベルがブラック・レインボーではダメで、ターコイズ・ブルーでなきゃいけないんである。
僕は”I Can’t Resist You”を左手で抱えながら、ジャズの新着の残りをざっと見たあと、レジに向かおうとして、ロック新着コーナーのほうに目をやった。さっき隣に立った若い女性らしい客が、どんな容姿なのか確認してみたくなったのだ。まさか「美女とレコード」みたいな光景を目にすることはないよなと、微かな期待をあえて打ち消しながら。
その女性は、さっきと同じ場所で、一枚一枚ゆっくりとレコードを見ていた。ショートカットの髪に隠されて顔はよく見えなかったが、オフホワイトのゆったりとしたニットを黒のスキニーデニムにフロントインで着こなしている。身長は165センチくらいの細身で、着こなしのせいか、足がすらりと長く見えた。肩には、LPレコードがまるごと入るくらいの大きな黒い革製のトートバックをかけていた。これで美人だったら、それこそまさに「美女とレコード」の光景である。
そう思った瞬間、その女性が僕の方に顔を向けた。
美人である。
派手な美人ではないが、美人に間違いない。
目、鼻、口といったパーツはすべて小さいが、それが実に上品にまとまっている。つまり和風美人である。
まさに「美女とレコード」日本版ではないか。
しかも、なんだか少し懐かしさを感じる顔立ちなんである。それもあってちょっと見とれてしまったのだが、そのとき、彼女も僕をまっすぐに見ていた。年齢は20代後半くらいか。50も過ぎたおっさんと20代後半の若く美しい女性が、レコードショップのエサ箱の前で見つめあっている。
異様な光景である。
その異様さにすぐに気づいて僕は目を逸らせた。そして、そのまま、レジに向かった。
「見つめあった」なんて思ったが、実はほんの一瞬のことだったはずだ。たぶん、客観的には、一瞬目が合った程度の出来事だったに違いない。いや、それにしても美人だった。もう一度振り返って顔をみたい衝動にかられたが、それをやったら間違いなく「変なおじさん」である。レジにたどり着いた僕は、衝動を抑えて、「検盤させてください。」と女性店員に言った。
ジャケットからレコードを慎重に取り出す。レーベルはターコイズ・ブルーである。第二関門は突破した。
続いてレーベルのリムのあたりをよく確認する。カナダ盤ではなくUS盤に間違いない。第三関門も突破だ。
次は、送り溝の確認だ。刻まれていたマトリックスはT1-887-D7/T2-887-D4で、両面にスクラントン工場のマークがある。おそらく両面D1が一番良いんだろうし、キャピトルなんでロサンジェルス工場プレスのほうがいいのかもしれないが、まぁ許容範囲だろう。それより、ピカピカの盤面がうれしい。
支払を済ませ、長らく探していたレコードを手に入れてスキップしたくなる気持ちを抑えて、僕は店を出た。早く自分の店に戻って、このレコードが聴きたい。
そこで、「あの・・・」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、さっき見つめあった女性が立っている。やっぱり美人だ、なんて見とれている場合ではない。こんな美人が僕に用があるとも思えないのだが、いったいどんな用件なんだろう。僕は思わず緊張する。
「伊東貴也さん、ですよね?」
驚きのあまり、僕は言葉につまる。何故、素性がばれているのだ?
「わたし、桝谷彩子の娘です。」
「えっ?」
「桝谷彩子、憶えてますよね?」
そりゃ、もちろん、憶えてはいるが・・・
憶えてはいるが、30年近く連絡もとっていないし、顔だってすぐには思い出せな・・・
その瞬間、懐かしい彩子の顔が甦った。
そして、何故さっき目の前の彼女の顔立ちに懐かしさを感じたのか、その謎が解けた。
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