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STRAWBERRY FIELDSへようこそ<2> [不定期連載小説]

<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>



第1話 CARPENTERS, NOW & THEN






「私、桝谷彩子の娘で、桝谷モトミといいます。伊東さんにちょっとお尋ねしたいことがあってきました。」

 30年近く連絡もとっていない古い友人(彩子を友人というカテゴリーに入れるのが適当かどうかよくわからないが)の娘が、いったい僕に何を訊きたいというんだろう。皆目見当がつかない。いずれにしろ、簡単な話ではない気がする。そんな話を、立ち話でするわけにもいかないので、僕はそのモトミという娘を連れて店に戻ることにした。店というのは、半年ほど前に僕がオープンさせた≪STRAWBERRY FIELDS≫という名のジャズ・ロック喫茶で、レコードショップのすぐ隣のビルにある。

 店に着くと、ドアに貼りつけた<隣の湘南音盤堂に行っています。11時には戻ります。店主>という走り書きのメモを剥がし、鍵をあける。彼女は、おそらく僕をたずねて店を訪れ、このメモを見てレコードショップ湘南音盤堂(「しょうなんれこーど」と読む。)にやってきたのだろう。

 用件がどんなものかわからないが、話の途中で客が来ても困るので<CLOSED>の看板はそのままにして中に入り、電気をつける。それから僕はカウンターの中に入り、彼女には席に座るように促した。

「珈琲でいい?」
 言ったあとで、自分の口調が馴れ馴れしすぎることに気づく。

「あっと・・・珈琲で、いいですか?」

「あっ、はい。」

 さっきは「似てるな」と思った程度だったのだが、見れば見るほど目の前の娘は彩子にそっくりである。僕の知っている彩子より多少大人っぽいが、彩子に最後に逢ったのは彼女が23の頃だから、5年も経てばこんな感じになっていたんだろうなと思う。なんだか、あの日からまだ5年しか経っていなくて、20代後半の自分に20代後半の彩子が逢いにきてくれた、そんな錯覚に陥ってしまった。それが、馴れ馴れしすぎる口をきいた理由だった。

「モトミってどんな字を書くんですか?」

「心が美しいと書きます。」
 彩子がつけた名前だろうなと、僕は思った。うん、いかにも彩子がつけそうな名前だ。

「彩子・・・彩子さんは、お元気ですか?」
 ネルドリップで珈琲を淹れながら尋ねる。それにしても、「彩子」に「さん」をつけるのはものすごく違和感があるな。

「母は、一か月前に亡くなりました・・・」

「えっ?」
 驚きのあまり、僕はお悔やみを言うのも忘れていた。

「どうして・・・」

「事故でした。車にはねられて・・・」
 これまでも同級生の訃報が届いたことはあった。しかし、それは、隣のクラスの顔を知っているという程度の同級生の訃報だった。本当に親しかった友人の訃報が届いたのは初めてのことだ。僕はしばらく茫然としていた。

 ようやく気を取り直して、止まっていた手を動かす。この珈琲は完璧な味にはほど遠いだろうなと思ったが、淹れなおそうとは思わなかった。たぶん、この珈琲は、彩子を悼む味がする。

 言葉が見つからず、黙ったまま珈琲を淹れていると、彼女が言った。

「それで、遺品整理をしていたら、このレコードが出てきて・・・」
 彼女が、黒い革製のトートバックから取り出したのは、カーペンターズ(Carpenters)の”NOW & THEN”だった。


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「ジャケットの間には、こんな写真も挟まってたんですよ。」
 その写真には大学生の僕と彩子が写っていた。背後にはクリスマスツリーも写っている。そう、これは大学4年のクリスマス・パーティーのときに撮った写真だ。この心美という娘が湘南音盤堂ですぐに僕を特定できた謎が解けた。

 このレコードのことも、この写真のことも、よく覚えている。レコードは僕があげたものだし、写真は、最後に逢った時に僕が渡したものだった。

「このアルバム、CDでも持っていて、母はよく聴いてたんですよ。でも、うちにはレコード・プレーヤーもないし、レコードも大事に持ってるなんて知りませんでした。それにこの写真でしょ? 絶対に何かあると思って・・・母と一緒に写ってる男の人は誰かって、母の友達にききまくっちゃいました。」

 そういうことか。≪STRAWBERRY FIELDS≫の開店にあたって、古い友人にも案内を出しまくったが、その中には彩子と繋がりがありそうな人間もいた。30年近くの時間が流れているので、その繋がりは年賀状の交換程度になっていたかもしれないが、少なくともここに辿り着くルートは残っていたというわけだ。

 しかし、「何かある」っていったいどんなことがあったと、この娘は思っているんだろう? 僕は、そんなことを思いながら、少し酸味が強くなっているであろう珈琲を、彼女の前に置いた。


 ≪STRAWBERRY FIELDS≫のカウンターの背後には、1000枚ほどのジャズやロックのLPレコードが並んでいる。僕のコレクションの一部だ。自宅にはこの他に5000枚ほどあって、ときどき入れ替えたりしているが、高価ないわゆるレア盤の類はほとんどない。そういう意味では、僕はコレクターズ・ヒエラルヒーの最底辺に生息するコレクターである。

 ただ、好奇心は人一倍強い。気に入ったアルバムについては、どれがオリジナル・ファースト・プレスなのか探求せずにはいられない。すでに研究が進んで明らかになっている事実もあるが、なにしろこれまで星の数ほどのレコードがリリースされているので、未解明の部分もかなり多い。それに、定説と言われているものが場合によっては間違っていたりすることもあるので、興味はつきないのである。

 僕はレコード棚にカーペンターズの”NOW & THEN”を探す。4枚のアメリカ盤が並んでいるのが見つかった。このレコードも、オリジナル・ファースト・プレスを探求したことがあるもののうちの一つだ。


20190207-2.jpg


「伊東さんと母は恋人同士だったんですか?」
 僕の背中に心美が訊いた。

「恋人ではありませんでしたよ。小学校の頃からの同級生で、二人とも東京で大学生をしていたときは、かなり親しくはしてましたけど。大学を卒業したあと、彩子さんのほうは故郷に戻ってしまったので、疎遠になっちゃいましたが。」
 僕は、4枚のレコードの背表紙を撫でながら、心美に背を向けたまま答えた。それからゆっくり振り返ると、心美が言った。

「でも、母は伊東さんのことが好きだった。でなきゃ、このレコードと写真、大事にしまっておきませんよね。」

「大事にしまっておいたわけじゃなく、押し入れの奥にしまいこんで、忘れてただけなんじゃないですか?」
 僕の返事に心美が睨む。どんなに睨まれても、<ずっと好きだったが、告白もしていないのにふられた>なんてことを、その娘に自白するのはご免である。僕はしらを切りとおすことに決めた。

「わたしが物心つくまえに、母は父と離婚しました。わたしには父の記憶はまったくありませんし、母が父のことをまったく話してくれなかったので、父がどんな人なのかもわかりません。母のことですから、いつか話してくれるつもりではいたんだと思うんですが・・・」

 あまりにも意外な話で僕は茫然とする。じゃ、彩子はずっと母一人子一人でこの心美という娘を育てながら生きてきたということか。連絡をくれていれば、何か力になってあげられることもあっただろうに・・・

「伊東さん、わたしのお父さんなんじゃないですか?」
 予想もしない質問に、驚きのあまり、僕の頭はうまくまわらない。

「彩子さんが結婚したのは僕ではありませんよ。」
 さすがにそれは知ってることだろうと、言ったあとに気づいた。

「それはわかってます。でも、子供の父親が、結婚した相手とは限りませんよね?」
 一般論としては、そういうこともあるだろう。しかし、彩子に限ってそれはない。

「母に最後に逢ったのはいつですか?」

「大学を卒業して1年ぐらい経ったあとだったかな・・・」

「ということは29年前ってことですよね? わたし、28です。計算が合います。」
 そりゃ確かにそのぐらい大雑把な計算なら合うかもしれないが、僕と彩子は手を繋いだことさえないのだ。計算自体に意味がない。

 どうやらこの心美という娘、かなり思い込みが激しいらしい。僕と彩子がどんな関係だったのかを丁寧に説明してあげる以外に、誤解を解く方法はなさそうだった。
 僕はしらを切りとおすのをあきらめた。

タグ:Carpenters
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