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ラストレター [映画]

昨夜、なんとなく映画が観たくなって、録画したまま放置してある映画でそろそろパンクしそうなHDDを探索したら、岩井俊二監督の『ラストレター』を見つけた。

『Love Letter』は大好きな映画だったので、そのアンサー映画みたいに宣伝されていた『ラストレター』は、公開時から観たいと思っていた映画だったのに、なんと録画してから1年ぐらい経っているじゃないか。

最近は、ホント、アナログ中心生活だからなぁ・・・
それでも、せっかく映画専用部屋もあることだし、これからは週に一本くらいは映画を観ることにしよう。

ってことで、昨夜は『ラストレター』を観ていた。





『Love Letter』のわかりやすさに比べて、なんだかとってもわかりにくい映画である。
そもそも、タイトルの「ラストレター」ってなに?
未咲が鮎美に宛てた遺書ぐらいしか、それに該当するものはない気がするのだが、どうも違和感がある。

それもそのはずだ。
ネットでちょっと調べてみると、映画に先行して発表された岩井監督の原作小説は、天国の未咲に宛てて鏡史郎が送った最後のラブレターの形式になっているのだという。
それなら、間違いなく「ラストレター」だ。
映画そのものが、天国の未咲に宛てた「ラストレター」なんである。

とはいえ、映画だけ観てると、そんなことはわからない。
やっぱり、未咲の遺書がラストレターと解釈せざるをえないんじゃないかと思う。
そして、実際、未咲が鮎美への遺書として、何故高校卒業時の答辞原稿を残したのか、そこに託された思いは何だったのかに思いをめぐらすことで、観客は、物語のより深い部分に連れていかれる仕掛けになっている。

この映画は、淡い初恋の思い出がきっかけになってはいるが、そういう甘酸っぱい映画ではない(もちろん、甘酸っぱい映画として観るのは自由だが)。
この映画は、20数年前、阿藤に未咲を奪われたときから時間が止まってしまった鏡史郎の再生の物語であり、自殺という形で突然訪れた母の死を乗り越えてゆく鮎美の再生の物語である。

高校時代、一方的に鏡史郎が未咲に送り続けたラブレターは、淡い初恋の発露でしかなかったかもしれないが、大学時代に一度は恋人同士になった後、自分のもとを去った未咲に宛てたラブレター(後に『未咲』という小説として発表されるもの)は、淡い初恋にすぎないものであるはずがない。
そうでなければ、過酷な人生の中で、未咲や鮎美を支えるものになりえたはずがないのである。
鏡史郎の未咲への思いは、裕理の鏡史郎への思いとは、質的にまったく次元が異なるものなのだ。

さて、では、何故未咲は、鮎美への遺書として、高校卒業時の答辞原稿を残したんだろう?
そこに託された思いはどんなものだったんだろう?

ボクなりに考えていることはあるのだが、一人の人を思い続けた経験はあっても、思い続けられた経験はないので、ここには書かないでおこう。
だって、ほら、願望が入ってそうでしょ?(笑)





     ♪ 墓標(しるべ)に 花をたむけ
     ♪ 僕らは この先へゆこう

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