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RI工場はいつアトランティックのメイン工場になったのか? [アナログ・コレクターの覚書]

一昨日、ちょっと時間を作って、近所のハードオフを2軒とブックオフを1軒まわってきた。
風の『windless blue』にB面マト1の盤があると聴いて、探しに行ったのである。
ジャンクコーナーを漁れば、1軒あたり3~4枚、合計10枚以上は見つかると思ってでかけたのだが、見つかったのはたった1枚だった。
しかも、B面のマトは3。
マト3まであるんかーい!

結局『windless blue』については収穫なしだったのだが、ジャンクコーナーで2枚ばかり拾ってきたものがある。
そのうちの1枚がこれだ。


20210925-1.jpg


エマーソン・レイク・アンド・パーマー (Emerson, Lake & Palmer)が1970年11月にリリースしたファースト・アルバムのこれはUSオリジナルになる。
USオリジナルのリリースは2か月遅れの1971年1月だったようだ。

日本盤を卒業するときにUKオリジナルを買ってしまったので、USオリジナルに食指が動いたことは一度もないのだが、110円で聴けるなら、とりあえず聴いてみたくなるよね(笑)

ジャンクコーナーに転がっているだけあって、ジャケだけでなく盤もボロくて、かなりチリパチが聴こえるが、静かなところ以外ではそんなに気にならない。

音の方は、UKオリジナルのほうが鮮度的にもマスタリング的にも上だと思うが、USオリジナルも決して悪くない。
いまの中古市場の価格差を考えたら、これで十分なんじゃないかと思ったりもした。

とはいえ、ボクはUKオリジナルで聴くので、いらないといえばいらないレコードなのだが、しかし、このレコードは、別の意味で貴重なレコードなのだ。
実は、このレコードのおかげで、誤った思い込みをしていたことに気づいたのである。

レーベルを見てみよう。


20210925-2.jpg


下部にST-CTN-702073 RIと印刷されていて、RI工場でプレスされたものであることがわかる。

RIは、通常、インディアナ州リッチモンドのPRC Recording Companyを意味するものと考えられているが、ここは元はMercuryの工場で、PRC Recording Companyという名称になるのは1972年4月である(1972年12月という説もある)。

だから、ボクは、RIという略称が用いられるようになったのは1972年4月からだと思い込んでいた。
で、アトランティックの中部メイン工場として利用されるようになるのも、この頃からだと思い込んでいた。

そうだとすると、このレコードは1971年1月リリースだから、ボクが手に入れたRI工場プレスの盤はリリースから1年以上経ったあとにプレスされた相当なレイト盤ということになる。
まぁ、ジャンクだからいいんだけど(笑)

でも、なんとなくあれこれDiscogs上の情報を見ていたら、おかしなことに気づいた。
1972年4月以前にリリースされた盤にもRI工場プレスは普通に存在するのだ。
最初は、それは全部、1972年4月以降のレイト・プレスだろうと思ったのだが、それにしちゃ、普通にありすぎる。
そこでようやく、ハッと気づいた。

オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)”At Fillmore East”のUSオリジナル初回盤にもRI工場プレスがあるじゃん!
"At Fillmore East"は1971年7月リリースだ。

誤った思い込みに気づいてあらためて調べてみると、1970年6月までがMercury Record Manufacturing Company、1970年6月から1972年4月までがPhilips Recording Company, Inc.、1972年4月からがPRC Recording Companyという名称になるらしい。

RIの略称の前の略称がMEだったとすると(このあたりの話は、https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2018-07-17をどうぞ。今回の記事に合わせて修正してあります。)、それは1970年6月までで、すでに1970年6月のPhilips Recording Company, Inc.への名称変更の時点で、RIの略称が使われるようになったんだと思われる。
これで、全部辻褄があう。

では、アトランティックの中部メイン工場として利用されるようになったのも、1970年6月からなのだろうか?
それは違うんじゃないかと思っている。

周知のようにRI工場プレスの場合、マトの末尾がAAAとかBBBとかアルファベットが3つ並ぶのだが(”At Fillmore East”のRI工場プレス初回盤を思い浮かべてくれればわかるよね?)、当初はアルファベット1つで終っていて、しかも、PR工場やMO工場に送られるのとは違うラッカー(つまりマトのアルファベットが違う)から作られたマザー(またはスタンパー)が送られていた。
ちなみに、ボクが今回入手したELPのマトの末尾は両面ともEである(EEEではない)。

この三連アルファベット・マト(ボクが勝手に命名した 笑)が、アトランティックのメイン工場になった証だとすると、RI工場がアトランティックの中部メイン工場になったのは、1970年6月よりも、もうちょっと後のようだ。

では、いつだろう?
1971年7月6日リリースの”At Fillmore East”の初回盤は、すでにCCCという三連アルファベット・マトだった。
ちょうどELPの"Tarkus"がその前月の1971年6月14日リリースで、Discogs情報によるとマトの末尾はBのみでまだ三連アルファベット・マトは採用されていないようだ。

たまたまピンポイントで見つかったので、同時期にリリースされた他のレコードのRI工場プレス盤のマト状況はまだチェックしていないが、三連アルファベット・マトの登場は1971年6月頃とみていいんだろうか?

何かご存知の方、ぜひ情報提供をお願いいたしますm(_ _)m

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