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STRAWBERRY FIELDSへようこそ<3> [不定期連載小説]

<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>



第1話 CARPENTERS, NOW & THEN






 彩子と知り合ったのは、小学生のときだった、はずである。<はず>というのは、同じ小学校に通っていたのに、小学生の彩子の記憶が僕にはまったくないからだ。一学年150人ほどの小さな小学校だったから、6年もの間にまったく接触がなかったとも思えないのだが(そして、なんとなく、一度くらいは同じクラスになったような気もしないでもないのだが)、とにかく記憶にないのだから仕方がない。

 中学校も同じだったが、これまた2年生までの彩子の記憶はまったくない。まぁ、3年生のときの記憶は彩子で溢れているんだが。

 すべての始まりは、春の終わり頃、あの保健室での出来事だった。<保健室での出来事>なんて言うと何だか少し妖しく聞こえるが、純朴な中学生のこと、妖しさなんぞ欠片もない。

 その日、剣道部の練習中に足のマメを潰してしまった僕は、保健室をたずねた。ところが、放課後の保健室には誰もいない。窓の外で、ブラスバンド部の連中がピープーフーブーとあまり上手いとも思えないトランペットやらトロンボーンやらフルートやらクラリネットやらを練習しているのが聞こえるだけである。

 途方に暮れて窓の外に目をやったとき、フルートの練習をしている彩子と目が合った。

「ど・う・し・た・の?」
 と、彩子の口がゆっくり動いた気がした。窓が閉まっていたせいか、あるいはピープーフーブーのせいか、声はまったく聴こえなかった。

「あ・し・の・ま・め、つ・ぶ・し・た。」
 僕も大きくゆっくりと口を動かす。どのみち、声は聴こえないだろうから、声は出さなかった。

 彩子は首をかしげている。どうやら伝わらなかったらしい。もっとも、途方に暮れている表情は伝わっていたのだろう。
「い・ま・い・く。」
 そう大きく口を動かしたあと、昇降口に向かって走り出した。

 その後、保健室のドアをあけて、「どうしたの?」と息を切らした彩子が入ってくるまでに、1分もかかっていなかっただろう。なんだか緊急事態だと誤解されたようで、僕はちょっと慌てた。

「ごめん。足のマメ、潰しただけ。」
 僕はすぐ近くにあった丸椅子に腰かけて、右膝のうえに、足の裏がみえるように左足を載せた。潰れたマメは表皮が剥がれて、赤い真皮がむき出しになっている。

「痛そう・・・」
 彩子は、自分のことのように顔をしかめた。

 それから、薬品棚の前に置いてあったカートから、オキシドールと脱脂綿とピンセットをもってきた。ピンセットでつまんだ脱脂綿にオキシドールを滲みこませると、僕の前に膝をついて、むき出しになった赤い真皮にやさしくトントンと塗布する。そうして、「ふぅ~っ ふぅ~っ」と息を吹きかける。それを何度か繰り返す。

 オキシドールは確かに少ししみたが、それ以上に温かい彩子の息がこそばゆかった。そのこそばゆさは、マメを潰した足の裏だけでなく、僕の心の一番敏感な場所も刺激した。


 そのとき僕は、生まれて初めての恋に落ちた。


「あれ?ぜんぜん痛くなくなった。」
 僕が言うと、
「わたし、魔法使いだから。」
 そう言って、彩子は笑った。


 中学生の恋なんて、ほとんどの場合、告白する勇気なんて持てず、大した進展もせずにそのまま終わるのが関の山だ。僕も例外ではなかった。僕にとって彩子は一番親しい女友達だったし、学校行事がらみでいろんな思い出もできたが、結局それだけだった。


 高校は、別の学校に進学した。

 僕には新しい世界ができたし、彩子にもやっぱり新しい世界ができたんだと思う。二人の世界が重なり合うのは、たまに町なかで(だいたい本屋かレコードショップで)偶然会うときぐらいになった。それでも、そんな風に出会ったときは、1時間2時間とおしゃべりをしていたから、やっぱりずっと一番親しい女友達ではあったんだろう。


 大学は、2人とも東京だった。

 二人の関係が変わったのか変わらなかったのか、僕にはよくわからない。一番親しい女友達という意味では変わらなかった。それは確かだ。

 ただ、偶然会うということが期待できなくなった結果、僕たちはよく電話をするようになったし、いっしょに渋谷や新宿の街に出かけるようになった。

 電話はほぼ毎日で、10分ほどで終ることもあったが、平均すれば30分から1時間は話していたと思う。最長6時間という記録もある。右の耳が痛くなったら左耳にかえ、左耳が痛くなったら右耳にかえ、そんなことを繰り返しながらの6時間、最後には耳の感覚がほとんどなくなっていた。それにしても、よくあれだけ話すことがあったもんだと、いまだに不思議でしかたがない。

 街に出かけるのは月に一度くらいだった。二人とも映画が好きだったから、映画を観に行くことが多かったが、お互いのショッピングにつきあうことも多かった。いずれにせよ、「逢うこと」それ自体が目的ではなく、「映画」や「ショッピング」といった何か特定の目的のために逢っていた。

 いや違うな。

 僕にとっては、「映画」や「ショッピング」はカモフラージュで、「逢うこと」自体が目的だった気もする。一番親しい女友達への僕の恋は、たぶんずっと続いていたんだと思うのだ。なんだかはっきりしないのは、彩子への気持ちが決して激しいものではなかったからだ。彩子のことは大好きだった。それは間違いない。でも、その思いは、すでに胸を締め付けられるようなものではなくなっていて、いつも穏やかで優しいものだった。


 お互いのアパートを行き来することはあまりなかったが、それでも病気をしたときとかには、看病に行ったり、来てもらったりしたことはある。彩子が僕の部屋のレコード棚にカーペンターズの”NOW & THEN”が二枚並んでいるのを見つけたのは、大学4年の秋、風邪で高熱が出てぶっ倒れていた僕の看病に来てくれたときのことだった。

 熱が下がってだいぶ回復した後のこと、こんな会話をした記憶がある。

「なんで同じレコードが二枚あるの?」

「同じに見えて、実は同じじゃないんだな。」
 僕は二枚のレコードをジャケットから出して、B面が見えるように並べた。
「レーベルをよく見てみて。」


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 彩子はしばらく見比べた後で、「あ~わかった!」と声をあげた。

「こっちは、”YESTERDAY ONCE MORE”の下のクレジットが太字になってる! それに”Sweet Harmony Music”っていうのが付け加わってる!」

「正解! たぶん、この”Sweet Harmony Music”ってクレジット、後から付け加えられたんだと思うんだ。それで、それがわかるように強調して太字にしたんじゃないかと。」

「そっかぁ。”Sweet Harmony”を伝えるためのものなんだね。」

「なんか、そういう言い方すると、すごく素敵なものに思えてくるから不思議。」

「私、魔法使いだから。」
 そう言いながら彩子は笑った。

 そのとき、『彩子と一緒にいると、僕の心にはいつもSweet Harmonyが響いてる。』なんて、おそろしく恥ずかしいフレーズが思い浮かんだのだが、そんなものを口にできるはずもなく、
「じゃ、魔法使いさんに、このレコードあげるよ。今日の看病のお礼に。」
 そう言うのが精いっぱいだった。僕にしたら、そのレコードは、紛れもなく”Sweet Harmony”を伝えるものだったわけだ。若気の至りとはいえ、なんと恥ずかしい・・・

 さて、彩子のほうはといえば、そんな僕の気持ちにはまったく気づかないように、予期せぬプレゼントを単純に喜んでいた。そうやって、”Sweet Harmony”を伝える”NOW & THEN”は彩子のものになった。


 大学を卒業した後、僕は東京で、彩子は故郷に戻って就職した。

 社会人になると僕の生活は一変した。学生時代とは違って、暇もなければ余裕もない。仕事を覚えるのに必死で、あっという間に毎日が過ぎてゆく。帰宅時間も遅かったから、学生時代のように、毎晩彩子と電話で話すということもなくなった。携帯電話なんてなかった時代である。当初、週末には必ずしていた長電話も、やがて隔週になり、月に一度になった。彩子にしても、実家に戻り、一人暮らしの寂しさを紛らわすための長電話は必要なくなっていたんじゃないかと思う。

 故郷までは新幹線なら2時間ほどだったが、僕が逢いに行くこともなかったし、彩子が逢いに来ることもなかった。僕たちは、「映画」や「ショッピング」のような口実をうまく見つけることができなかった。


 そうこうするうちに、気づいたら1年の月日が流れていた。

 ある日のこと、僕は、引き出しの奥に、フィルムを入れっぱなしのコンパクトカメラを見つけた。そういや、大学4年の12月、彩子が友達を連れてうちに押しかけてきてクリスマス・パーティーをやったときに、確かこのカメラで写真を撮っていた。フィルムがまだ残ってたんで、撮り切ってから現像に出そうと思って、そのまま忘れてしまっていたのだった。

 現像に出してみると、僕と彩子が並んで笑っている写真が一枚出てきた。ことのほかよく撮れている。考えてみたら、これだけの長い付き合いなのに、一緒に写真を撮ったことってなかったな。そう思ったら、僕はこの写真のことをすぐに彩子に知らせずにいられなくなった。

 電話をして「すぐに送ってあげる。」と言う僕に、「ちょうど東京に行きたいと思ってたから取りに行っていい?」と彩子は応えた。そうして僕たちは、1年ぶりに逢うことになった。


 彩子に最後に逢ったときのことは、実はあんまり覚えていない。というより、その日の深夜、帰宅を知らせる彩子からの電話で聴いた話が強烈すぎて、逢ったときの記憶がほとんど飛んでしまったのだ。

 僕たちは、大学生の頃誕生日とかのイベントのとき偶に行った、渋谷にあるリーズナブルなフレンチ・レストランで逢ったのだが、覚えているのは写真を渡したときのことだけだ。

「1年しか経ってないのに、なんだかすごく遠い昔の気がするね。」
写真を見ながら彩子が言った。

「最近、よく、貴也くんにもらったカーペンターズのレコード聴くんだ。”YESTERDAY ONCE MORE”から始まるB面を聴いてると、なんだかすごく切なくなる。」
 そう言って笑う彩子の目から、涙がポロリと零れた。

 忙しく慌ただしい日常にひたすら追われていた僕の世界と、故郷のあの穏やかな時間の流れの中に戻った彩子の世界は、どうやらまったく違う景色だったらしい。僕は言葉が見つからず、写真を見つめる彩子をただ黙って見ていた。

「ごめん!なんかセンチになっちゃった。」
 彩子は、涙をぬぐいながら顔をあげると、そう言って笑った。ファンデーションの上に少し涙の跡が残っていて、彩子の顔がピエロのように見えた。哀しい顔のピエロ。

「涙の跡が残ってる。」
 僕はそう言いながら彩子の顔に手を伸ばす。顔を包むように手のひらをあてると、親指で涙の跡をこすって消した。彩子はされるままにしていた。

「消えた。」

「なんだか、わたし、おかしいね。」
 そう言って笑った彩子の顔は、涙の跡が消えても、哀しいピエロのままのように見えた。


 帰宅を知らせる深夜の電話で、写真を受け取るために彩子がわざわざ僕に逢いに来た理由を知った。

「お見合いして、結婚が決まったんだ。貴也くんには直接逢って話さないといけないと思って今日行ったんだけど、なんだか言い出せなかった。だって、あまりにも1年前と変わってないんだもん。」

 彩子が変わってないと思ったのは、僕のことだったんだろうか。それとも、僕と彩子の関係のことだったんだろうか。それを確かめる機会は、結局、来なかった。

 その後、僕は彩子に電話をかけることができなくなったし、彩子からかかってくることもなくなった。結婚式の招待状どころか、結婚を知らせる挨拶状さえ届かなかった。

 だから、その後の彩子のことは、何も知らない。


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